「………なぁ侑士………お前なんだよその手つき………」

向日岳人の嫌そうな呟きに、問われた忍足侑士は実に楽しそうに笑った。

「気になるん?」
「あーまぁそれなりに。でも、なんとなく嫌な予感はすんだけどな〜」

向日の言葉に、ニヤリと侑士は笑った。










【 男と女と胸と恋人 】










「最近、ごっつい可愛い彼女出来たん♪」
「…………それで?」

ひくつかせた唇で、向日が問う。勿論、答えは想像しているし、その通りの答えを返すだろうことも予想済み。しかし人間は怖いもの見たさ、毒を食らわば皿まで、という奇怪な習性を持っているのだ。

「ちっさい胸がごっつ可愛ェんよ!」
「…………へ…へぇー……」
「そんで、俺がおっきくしたろ思うんやけど、大きくしすぎてもアレやん。今のちっささでも確かに俺は満足やけど、もうちょい欲しいねんもうちょい! あー…この微妙な男心! その微妙な加減が難しなー思て、ちょお練習しててん」
「俺思うけど………………侑士ってバカだよな」
「岳人には言われたないわ」
「いや…誰もが俺に賛成してくれるし」
「うっわ!心外やそのセリフ!」
「でも、跡部あたりが絶対、すっげぇ馬鹿にしたような面で言うに決まってるし……
「「バカじゃねぇのか?」」って……」

岳人の言葉に重なる形で、部室の扉を開けた跡部景吾が吐き捨てた。ハモった事実に少しだけ眉根を顰めるのは忘れずに。

「跡部なんやねん盗み聞きかい!」
「聞こえたもんは仕方ねぇだろ」
「まぁええ。跡部もこの微妙な男心分かってくれるやろ〜?」
「分かるわけねぇだろ、んな変態の気持ちなんかよ」
「なんやねん!可愛いんやで!感度抜群やし!
ちぃちゃい声で「……ゃ」とか言われた日にはもう我慢出来ひんくらいに可愛ェんやって!」
「っつうか誰だその女」
「あー!俺も聞きたい聞きたい!」
「それについては黙秘権行使や」
「ふざけんなテメェ。そこまで言っといて黙秘権も何もねぇだろうが」
「ずるいぜ侑士〜!」
「これについては譲れんわ。すまんな〜結局のろけさしてもろた〜」

結局、侑士はその件についてそれ以上は話そうとはせず。その日の練習は、忍足のみハードスケジュールだった。









数日後。

「……あのさ、悪いんだけど…………」

その呼びかけの声に振り向いた鳳長太郎は喜色の声を上げた。

「リョーマ君じゃないですか! 一体どうしたんですか?」
「えーっと…さ………、忍足侑士……呼んで欲しいんだけど……」
「……忍足先輩ですか? 別にいいですけど、何の用事なんですか?というよりどんな関係なんですか?」
「いや!ともかくいいから呼んで!」

恥ずかしそうに俯いたリョーマに、鳳は思わず固まった。どう見たって普通の関係じゃなさそうな素振り。
まさかそんな、と思うものの、目の前のリョーマの姿を見ては、自分の中に浮かんだ可能性が現実味を帯びてくる。
そんな鳳の様子を見て、リョーマが声をかけた。

「………ねぇ…なんで固まってんの?」

きょと、と首を傾けて不思議そうに見上げてくるリョーマに、鳳は真っ赤になった。そして駆け巡る、衝動。

「………スミマセン、あの……抱きしめてもいいですか?」
「ハッッ?」
「いや、あの…ホントスミマセン」
「いや何がってちょっっっ!」

何がなんだか分からないままに抱きしめられて、リョーマ思考停止。
自分が何をしにここへ来たか、とか、吹っ飛んで、ただただ硬直したまま抱きしめられていたリョーマだったが、
叫び声で我に返る。

「何やっとんねんっっっ!!」

叫び声の主は、当然のように忍足侑士だった。

「何俺の女抱きしめてんねんコラ!」
「何言ってんのっ!」
「さっさと放さんかい鳳っ!」

侑士の激昂とそして問題発言に、ビックリして止まっていた鳳は慌てて身体を離した。しかしながら、腕の中にいたリョーマはむっつりと侑士を睨んだまま動こうとはしない。

「侑士アンタ自分が何言ったか分かってんの?」
「そんなん言うたかて!何抱きしめられてんねん!」
「何それ俺のせい!?」
「別にリョーマのせいなんて誰も言うてへんやろ!」
「今さっき自分で言ったじゃん!何抱きしめられてんだって!」
「あーもうともかく早来てやこっち」

むぅと唇を尖らせたリョーマは、渋々といった感じではあったが侑士の傍まで歩いていき、侑士の腕の中におさまった。そんなリョーマを抱きしめつつ、侑士はギロリと鳳を睨みつける。

「人のモンに手ェ出してただで済む思てへんよなぁ鳳?」
「突然抱きしめてしまったことはリョーマ君に謝りますけども。あの……二人って付き合ってらっしゃるんですか……? それに、さっき俺の女って言いませんでした?」
「別に言葉のアヤやろそんなん。つうか自分、話逸らそうとしてんのやろ。罰として当分は練習ん時きつい思いしてもらうで」
「………ま、仕方ないですね。抱きしめられましたから満足です」

むしろ嬉しそうに笑って鳳長太郎。

「反省の色見えへんの…気のせいなん?」

細めた目で鳳を見ながら、侑士が低く唸った。

「気のせいじゃないです。だって、チャンスがあったらまたやると思いますし」
「何抜かしてんねん!」
「だってリョーマ君ですよ? 俺じゃなくても皆そう思いますよ。誰を敵にまわしても欲しいですね」

にこやかに笑う鳳に、居心地悪そうにリョーマが身じろぎをした。ハァとため息をついた侑士がリョーマから身体を離す。

「これやから………。なぁリョーマ俺言うたやろ!
この辺りの人間、全員狼やって。それやのになんで来たん?」
「そんなのアンタが変なメール寄越すからでしょ!!」
「………変なメール…?」

見に覚えがないのか、首を傾げる侑士。リョーマの怒りが爆発した。

「あの最悪なメール貰わなきゃ、誰もこんなとこ来ないし! バカじゃないのってかアホじゃないの!」
「メール………って、夜中に送ったヤツ?」
「それ以外にないじゃん」
「………別にそない変なメールちゃうやん」
「はっ!?」

思わずリョーマは呆気に取られて、侑士の顔をマジマジと見つめる。
飄々としたその顔に、沸々と湧き上がる怒りを感じ、リョーマはにっこり笑った。

「…………ちょっとこっち来て」

さすがに、他人のいる前で言うのははばかられて、リョーマは侑士を引っ張ってその場から離れる。そうして、辺りに誰もいないことを確かめると、キッと睨みつけた。

「一人エッチは程ほどになんてふざけたメール送っておいて、何が変なメールじゃないって!?」
「リョーマの胸大きくなるんは嬉しいんやけど、リョーマの一人エッチのせいやったら切ないなぁ思て」
「バっ…バカじゃないの!!」
「ここは重要やろ!」

アホというか、バカというか。
本当に、本当にそんなことだけで、あんなメールを送ってきたとでも言うのだろうか。

「あ! 送ったとき、最中やったとか言わんやろな!」
「……………ほんと、侑士ってバカなんだね」
「せやけど……一人でおる時、俺んこと思い出したら」
「ちょっ!」

突然胸を掴まれて、リョーマは侑士から離れようともがいた。

「したなるやろ?」

けれど、そのままやわやわと揉まれて、息を呑む。侑士の顔が悪戯っ子みたいな笑みを浮かべて。

「俺はごっついしたなるんやけど?」

そう、付け足した。











「なんだー?……侑士お前その顔」
「可愛い子猫に殴られたん」
「バッカでー!!! あんな変態発言してっからだぜ!」

とりあえず頭に来た侑士は、そのまま岳人を蹴ってみた。
結局、リョーマの何かに火をつけてしまったらしい侑士は、思いっきりの平手を食らうことになったのだ。そんなワケで侑士の頬はいまだ赤い。いつもならば、パンチが飛んでくるので、きっと相当に怒っているのだろうと推測できる。

「ざまぁねぇな」

ニヤニヤと笑う跡部に、侑士は眉を顰める。
そんな中、一人難しい顔をしていた鳳が口を開いた。

「…………というかですね。その可愛い子猫に叩かれるようなことしたってことですよね?」
「それ以外に何があんだよ鳳―! お前鈍いんじゃねぇの〜?」

茶化すのは岳人だ。しかし、鳳が確かめたいのはそんなことではない。それは侑士も分かっていた。

「まぁ、そうなるんとちゃう?」
「────つまり、リョーマ君に叩かれるようなことをした、と」

場が静まり返った。
その場にいる全員、要するに部室に集まっているレギュラー全員は固まったように動かない。

「ま、待て待て待て待て待て!!! ちょっと待て侑士―!!」

一番初めに動いたのは岳人だった。

「俺今凄ェ混乱してんだけど。この前言ってた女の話はなんなんだよ! 二股かよ!」
「なっ…付き合ってた人別にいるんですか忍足先輩! リョーマ君がかわいそうじゃないですか!というか俺がかわいそうです!譲ってくださいよ!」
「鳳に譲るくらいなら俺に譲れ、忍足」
「宍戸先輩こそ俺に譲るべきです」
「ウス」
「俺も俺もー!」

とりあえず騒がしくなる部室内であったが、一人黙ったまま侑士を冷静な目で見ている男がいた。跡部景吾である。

「つまりは、この前言ってた付き合ってた女=リョーマってことか」

そうしてボソリと呟く。やはり、鋭い。というか有りえないインサイトである。

「しかし、越前リョーマが女とはな」

そのまま侑士の動揺を見て、確信したように頷いてみせる。場が、再び静まり返った。

「は………マジで?」
「………リョーマ君が………女……?」

口々に驚きの声を上げる中、跡部がニヤリと笑った。

「ますますテメェには勿体ねぇだろ。なぁ?」

跡部景吾ならば、そう言うに違いないだろうと、最初から侑士は思っていたのだ。だから、リョーマの性別は、何が何でも周りの人間にバレないようにしてきた。
自分の言葉のせいとはいえ、よもやバレてしまうとは。侮りがたしインサイト。

「ま、お前が胸如き拘ってる間に、俺はリョーマを手に入れるけどな」
「うっさ! 誰がやるかっちゅうねん!」
「どう足掻いても、いつかは俺の元へ来る。俺は欲しいものは必ず手に入れる主義だ」
「絶対ありえへんし」

ハッと笑った侑士は、ふと、自分の携帯が震えていることに気付いた。慌てて開いてみる。案の定、愛しのリョーマからのメールであった。
ニヤリと笑いそうになる顔を必死で引き締めつつ、侑士はメールを読んでみた。

「…………あかん可愛ぇ……!!」

悶える侑士を不気味そうに見つめるその場の人間。
侑士はひとしきり悶えると、いそいそと帰り支度をし始める。

「オイ忍足。テメェどこ行く気だ?」
「なんでプライベートを跡部に話さなあかんねん」
「そのメールの主、越前リョーマだろうが。それ見て帰ろうとしてるの見りゃ、誰だって想像はつく」
「教える思うか?」
「……いいや?」

ニヤニヤ笑う侑士に、不敵に笑う跡部景吾。

「まぁ、精々足掻いてろよ。絶対手に入れるからな」
「無理やろうけどなぁ? リョーマは俺に惚れとるんやし」
「今のうちに楽しんでおけ」

その言葉を最後に、侑士は部室を後にした。
跡部の、あの異様な自信は一体どこから来るのかと確かに不安な気持ちも残りはする。
けれど。
リョーマから来たメールを見れば、それは絶対に無理だろうと言えるのだ。

「…………相思相愛ってえぇなぁ」

ボソリと呟いてみて、その言葉を噛み締める。気付けばにやけそうになる自分の頬を必死に引き締めながら、侑士は一路リョーマの元へと向かうのだった。


【俺はアンタのことを思い出したらアンタに会いたくなる。あんたみたいな変態と一緒にしないで欲しいね】


とりあえず、リョーマの胸を大きくするのは後回しで。
今の形の等身大のリョーマを愛するのが何よりも大事なこと。









End