それは凄く簡単な疑問だった。

───果たして、跡部景吾は越前リョーマを愛しているか?











【 だから君はキスをする 】











「跡部がリョーマを好きか否か?」
「まぁ、ね」

そう言ってリョーマはストローを吸い込んだ。口の中に流れ込むオレンジジュースをコク、と飲み込む。
その様を見ていたらしい忍足侑士と目が合った。

「せやなー…」
「アンタなら分かるかと思ったんだけど……やっぱ無理?」
「コレばっかりはな。人の気持ちやし。
いやまぁ、俺かて、恋のマジシャンとかどこぞで呼ばれとるわけやし、答えたいとこやけど」
「いや質問。それどこで呼ばれてんの?」
「男の秘密や。聞いたらあかん」
「……………はいはいはいはい。恋のマジシャン、本題に戻って」
「おお。ええ返しや」

満足そうに笑う侑士に、リョーマは思いっきりどつきたい衝動に駆られた。
そんなくだらない会話をするために、わざわざ呼び出しかけてこんな喫茶店なんかで顔を突き合わせているわけではないのだ。
そう、目的はただ一つ。

「ちゅうかやな、そもそもなんでそんなこと思ったん?」
「────別に今までそんなのどうでも良かったって言ったらどうでもよかったんだけどさ。
さすがに俺が電話したら他の女が出て、『ちょっとアナタ景吾の何なの!? 景吾に手出さないでよ!』とか言われたら、対処というか………対応に困るじゃん?」
「……………そら困るなぁ」
「でしょ?」
「メッチャ困るな」

頷きあう二人。沈黙が流れる。

「だからね、とりあえず景吾の本気がどこにあるかぐらいは掴んでおこうかと思ったんだよね」
「せやけど……今までの過程考えたら、跡部がリョーマに惚れてんのは当たり前や思うけどな」
「んなもん、時間が経てば気持ちも変わるから却下。他には?」
「……………参考までに最近会っとる?」
「………二ヶ月前に会ったかな? で一ヶ月前に電話で話した覚えある」
「……………俺とリョーマの会う回数のが多いって何事やねん! ちゅうか、むしろ付き合っとるんかっちゅう疑問湧くの俺だけなん?」
「俺も」

今度の沈黙は、とても重苦しいものだった。ついでにリョーマの唇からはため息。

「有りえへん。何やねんソレ」
「俺も部活で忙しいってのあるけどねー…さすがに電話してウザったそうに出られたら、遊ぼうよなんて言えやしないし、電話する気もなくすし。
ちなみに、その女が出た日は、つい最近。つか、その後即行アンタにアポ取りの電話かけた」
「………三日前かい!」

アカン、と呟いて頭を抱える侑士。
その姿を見ながら、リョーマは呑気にオレンジジュースを飲んだ。ついでにウェイトレスさんを呼ぶ。

「オレンジジュース追加」
「かしこまりました」

伝票を持って歩いていくウェイトレスさんを見ながら、侑士が戻ってくるのをただひたすら待つ。
やがて、ため息と共に、侑士がこちらを見た。

「俺が一人悩んでる間に追加注文頼むなや」
「まぁまぁ」
「……………………リョーマは別れよう思てんのか?」
「答え次第?」
「率直に、今の気持ち、別れたい思っとる?」
「俺は別れたくはないね。だって俺まだ景吾好きだし。
でも、景吾が好きじゃないんなら、付き合う必要なんて無いじゃん。
俺は、無駄なことなんてしたくない。何も生み出さない関係なんて、必要ないね」
「あかん………最悪のシナリオや。
跡部に直接聞いたところで、絶対、好きやとか愛してるっちゅう答え返ってこぉへんやん!」
「だろうね」

クス、とリョーマが笑うと、侑士がああ、と頭を抱えた。
そして、まるでタイミングを計ったかのように、ウェイトレスが近づいてくる。

「オレンジジュースお持ちいたしました」
「あ、どうも」

置かれたソレに早速ストローをさす。唇をつけたと同時に、ガバッと侑士が身を起こした。

「……………よっしゃやるで俺は!」

ガッツポーズまでついたその言葉に、リョーマは苦笑しながら、オレンジジュースを飲み込む。

「何、今度は復活早いね」
「なんたって恋のマジシャンやからな!」
「…………まだ引っ張るんだソレ」
「で、やな、恋のマジシャン的には、ちょお相談したいことがあるんや」
「何か景吾向けの計画でも立てんの?」
「せや。もちろん乗るやろ?」

景吾と付き合う切っ掛けを与えたこの男の計画ならば、景吾の本音を聞きだすことも可能だろうことは間違いない。

「分かった。乗る」

そう呟いて、リョーマは苦笑した。昔、景吾と付き合う前を思い出したのだ。
アレだけ、自分に執着し、手に入れたがっていた男が、時間を経てどう変わっていったのかが分かるということになる。
浸透するように、一年かけ、二年かけ、男の存在はリョーマの中に入り込んでいったというのに。
景吾の中からは、同じ年を重ねるごとに、自分への愛情、存在が、消えてなくなっていったのだろうか。

刻々と見えてきた、終わり。もしくは───

変わらずに、自分だけはこの思いを持ち続けるだろうことは確実で。
終わりが来たとき、さぁ、どうやって思いを消していけばいいのだろう、と思うと、少しだけ憂鬱だった。











「計画なのコレホントに?」
「せやけど、古典的なのほど効くんやで?」
「………俺と侑士が仲いいのなんて、分かりきったことじゃん」
「……………せやな!ここはひとつキスすんで!」
「うわアンタ何その笑顔!」

要するに、侑士が考え出した作戦は古典的すぎるほど古典的な【自分も浮気してみたらええやないか作戦】であった。
とはいえ、別に浮気したいとも思わないのでフリだけで。それも相手が侑士な辺り、駄目っぷりが明らかだったのだけれど。
氷帝学園高等部。そのテニス部部室の前で、リョーマは侑士と落ち合い、ただ会話をする、がその計画の全貌。
ふと、侑士がこちらを見つめて、苦笑した。

「…………まぁ、俺がリョーマんことホンマは好きやったっつっても信じてくれへんやろ?」
「じゃあ侑士は、俺がそのこと気付いてたっていうの、信じる?」

同じく、笑ってやれば、侑士は真剣な表情を浮かべた。

「─────俺とのこと、考える気、あるん?」
「無い。だから俺景吾が好きって言ってんじゃん」
「あーあーあー…淋しい答えやなー…」
「分かってるから言わなかったんでしょアンタ。知ってんだよそのくらい」
「仲良すぎる友達っちゅうのも、最高にアカンな」
「そりゃねー…相手の性格知りすぎてるから何しろ」
「俺やったらリョーマにこんな悩み抱かせへんっちゅうのにな!」
「景吾に協力したくせに?」
「…………過ちはそこから始まってるんやな」

黄昏る侑士に、リョーマはポンポンと肩を叩いてやる。
ふと、目線を感じてあたりに目をやれば、そこには景吾が立っていた。
けれど、特に何事もなかったかのように、目線を外してそのまま歩いていってしまう。
いつも通りといえば、いつも通りな展開だった。

「侑士、景吾がいたけど、そのまま歩いてった」
「あかん、嫉妬作戦失敗やん……俺の告白もサラリと流されたし…この作戦いいとこなしや」
「いや…正直分かってたことなんだけどね」
「分かってたなら言っとけや! 無駄に告ってもうたやんか!」
「面白いからいいんじゃない?」
「……………切なー…俺の純情が……」

るーるるーと歌いだす侑士に、リョーマは慰めの言葉をかけてやった。










そして現在、リョーマはたった一人、跡部邸の前に立っていた。
跡部家執事の室田さんとは仲良しなので、言えばすぐにいれてもらえるだろうことは容易に想像ついたが、やはりというかとりあえず、景吾の了承もなしに勝手に入るのはどうだろうか、と門の前で待つことにしたのだ。
とはいえ無駄に広い門の前、ただ闇雲に待つのも疲れるもので。しかも景吾が何時に帰ってくるのかリョーマには検討もつかないのだ。

「…………せめて何時くらいに帰ってるかとか聞いておけばよかったかも…」

勿論、室田さんに、である。
と、唐突に門が開いた。

「……………アレ…?」

それは、操作して開くタイプの門で。つまり、誰かが外に出るときか、来訪者が来た旨を告げないと開けることは不可能な代物なのだ。

「リョーマ様、お久しぶりでございますね」

そして、にこやかに、送迎カーを走らせてやってくるのは、室田さんだった。
どうやら、気付かれてしまったらしい。

「………なんで気付いたんですか?」
「お恥ずかしいことに、私が気付いたのではないのです。奥様が、お気づきになられたようで……」
「は!?」
「久々にパリからお帰りになられて、自室にてお寛ぎの最中だったのですが…」
「あ、手振ってる……」

景吾の母親の自室あたりを見れば、確かに景吾の母親が手を振っていた。それも嬉しそうに。

「…………奥様はリョーマ様がお気に入りでございましたからねぇ」
「入ってもいいんですか?」
「勿論でございますとも」

室田さんの言葉に従い、リョーマは送迎カーに乗りこんだ。















「お久しぶりね、リョーマさん」
「お久しぶりです。景吾のお母さん」
「相変わらず、肌が綺麗なのね。本当に、触り甲斐があるわ」

頬に触れてくる手を振り払うことなく、リョーマは景吾の母親のしたいようにさせる。
無遠慮に触れてくる手は、ひんやりと冷たくて、意外にも心地いい。実は景吾の母親にこうされるのは、リョーマの好きなことの一つでもあった。

「ところで、室田に聞いたんだけれど……最近来てないそうね?」
「あぁ…はい」
「まさかとは思うけど、景吾と別れる、とかそういったことにはなっていないわよね?」

どうしてこうも勘が鋭いのだろうかとリョーマは思う。
何しろ、今日の自分は手っ取り早く別れでも切り出してやろうと思って来たのだから。別れでも切り出せば、景吾の気持ちがもしかしたら分かるかもしれないし、分からなくてそのまま別れたら別れたで、まぁいいやと割り切ろうと思ってここへ来た。
よもや、その思い全てが相手に筒抜けとは思わないが。

「景吾次第、です」
「…………………ちょっと何が起こってるのか簡潔に話してくれるかしら?」
「別に簡単なことなんですが…」

そう前置きして、リョーマは事の次第を本当に簡単に説明した。
最初は神妙に頷いていた景吾の母親は、やがて、クスクスと笑い出した。

「バカな子。ホントバカ。
欲しいものは欲しいと言って、そして手に入れたものは愛でていればいいのに」
「…………何がですか?」
「リョーマさんのことが好きすぎて、そんな自分に腹が立ってるのよあの子。それで必死にリョーマさん以外の女性と付き合って、取り繕ってみたりしているんでしょう。
もっとも、そういった女性の選び方も上手く出来ないくらい、リョーマさんに溺れてしまっているみたいだけれどね。リョーマさんに出会う前の景吾だったら後腐れの無い女性を上手く見つけ出していたから。
あと、そうそう、随分前の話だけれど、室田が言っていたわよ?
リョーマさんからかかってきた電話を、それはそれは嬉しそうに取ってから、慌てて不機嫌な顔に変えているところを目撃したって」

何となく想像がついてしまうその光景。
きっとここは笑うところだろうけれど、身のうちに思いもよらず幸福が入り込んでいて、それを噛み締めるのに精一杯だ。

「…………バカすぎ…」
「それにね、景吾ったら最近、とっても不機嫌らしくて………実はその件で私は帰って来ていたの。確かに骨休めっていうのもあるのだけれどね?
室田もメイド達も困っていたみたいだから、それとなく不機嫌な理由を聞かなくちゃと思って。
もっとも、リョーマさんと何かあったからなんだろうとは思っていたんだけれどね。
だから今日、リョーマさんが来たのに気付いて、しかも室田からは久しぶりの来訪で、なんて聞かされたから、これはもう、リョーマさんが何かケリをつけにいらっしゃったんだろうと想像がついたのよ」

そうしたら案の定で…なんて景吾の母親が呟く。
今度は、思わず笑ってしまった。

「あの子がリョーマさんを好きなのは、私が保証するわ」

にっこりと笑う景吾の母親に、リョーマも同じく笑って、頷いた。


「信じます」













そして、泊まっていけとのお願いに、リョーマは笑って承諾した。
久しぶりの景吾の母親との食事。生憎、景吾は最近帰ってくるのが遅いとのことで、食事は一緒に出来なかったけれど、二人での会話は終始景吾に関してだったから、逆に良かったのかもしれない。
それに、どうせだから驚かせてやりなさい、と景吾の母親は言っているし。

そんなこんなでリョーマは今、景吾の部屋に一人佇んでいた。
部屋には電気ではなく、ただ、大きなバルコニーへと繋がる窓から入る月明かりだけ。
久しぶりの景吾の部屋に、ふわふわと気持ちが浮き立っていくようだった。

シンと静まり返った部屋の外、この部屋へ向かって歩く音が聞こえる。
この早さは、この音は、誰でも無い景吾のもの。

ガチャ、と音を立てて、扉が開いた。
景吾が明かりを点けたと同時、間髪入れずに抱きついて、リョーマは笑った。突然の抱擁に驚く景吾。
そんな景吾に、リョーマは軽く口付けて、言い放ってやった。

「景吾って、実は俺のこと大好きだったんだ?
景吾のお母さん経由で聞いたんだけど、わざわざ俺との電話、不機嫌な声出さなくてもいいと思うんだよね」

面食らっていたらしい景吾の顔が、見る見る赤くなっていく。滅多に見れないだろう、こんな顔。
最高に、楽しい。
最高に───嬉しい。

「……………ほんとバカだねって話をしてたんだよね、景吾のお母さんと。
侑士に対してだって嫉妬してたらしいし…ね?」

クスクス笑ってやる。
色々な話を聞いた。たくさんたくさん、景吾の想いを知った。
それを知って、幸せを感じたのだ。
景吾には、それを知る権利がある。

「俺がこんなに愛してるんだから」

もっと素直にその気持ちを表に出してもいいんじゃないの?

もっとも、その呟きは、堰を切ったように降り注ぐ唇に奪われてしまったけれど。
多分景吾にはその言葉はもう意味が無いだろうから、まぁいいやとリョーマは思う。

───抱きしめる腕の力が強いことが、きっと、何よりの証拠だ。


「あ、そうだ」

ふと、大事なことを思い出してキスを中断する。
不機嫌そうな顔を浮かべる景吾は、まるっきり今までと変わった様子はない。
けれど、それに構わずリョーマは言葉を続ける。

「景吾は、俺に愛してるとか言わないの?」

今度は固まる景吾が見れた。真っ赤な景吾に引き続き、実に珍しい光景だ。

「俺としては一度くらい聞いておきたいんだけど。俺も滅多に言わない言葉なんだし?」
「………うるせぇよ。黙ってろ」
「ちょっ!」

けれど、景吾はその言葉を発することなくリョーマの唇を奪い。
今度は深く深く、貪られる。
さすがに、こんなキスを仕掛けられれば、リョーマも言葉に構ってなんていられなくなってしまう。
心の内で卑怯者め、と罵った。





けれど今はもう知っているのだ。


景吾のキスが、言葉よりも何よりも雄弁で──

愛していると何度も何度も表現してることくらいは。












THE END




■跡リョに20のお題より 20「愛してる」