なんてつまらない授業だろうか、とリョーマは黒板を見つめた。
ただひたすらに文法を覚えさせて、単語を覚えさせて、たったそれだけの授業。
欠伸が出そうになるのを必死にこらえて、しかし無理そうだったので口元を手で隠して下を向く。こういうのも、目ざとい先生ならば見つけ出して注意するのだが、今授業を執り行っているのは非常にヤル気が乏しいことで有名。正直、そのまま正面向いたまま欠伸したところで注意されないだろうとも思えるが、他の生徒に氷帝の品位が下がるとか怒られそうなのでやめてみた。
「…………はぁ」
教科書を見ても、黒板を見ても、面白いことなど一つもない。
だからといって、寝るのも許されない雰囲気が教室内には漂っている。
それに、あの、跡部景吾の彼女ともあろうものが授業中に寝てはいけないという圧力がリョーマにはかかっていたりしていたので、余計に寝るわけにはいかないのである。
そんなわけで帰国子女のリョーマには、中学三年生の英語の授業など拷問以外の何物にも成り得なかったのである。
〜彼と彼女の恋愛事情その5〜
『 同情のワケ 』
苦難の時が過ぎ、素晴らしき休み時間が訪れた。
疲れを取るように伸びをして、リョーマは立ち上がる。待ちに待った時間、ともかくこの狭い教室から飛び出して外の空気を吸いたかった。
しかし残念なことにそれは叶わぬようだった。リョーマの元へと歩み寄る二人の女の子。同じクラスの子である。
「?」
近づく理由もわからず、リョーマは首を傾げて二人を見る。大して仲が良いわけでもない二人だ。二、三度言葉を交わしたくらいの、上辺だけの世間話をするくらいの関係。
戸惑うリョーマを他所に、二人は、にこにこ笑いながら呟く。
「眠そうだったね、越前さん」
「欠伸、見ちゃった」
えへへ、と、害の無い笑顔でうんうん頷いてくる。
なんなんだ、一体。心底からリョーマは思う。確かに世間話をするような間柄だが、だからといって脈絡もなしにこんな話されても迷惑なだけだ。
とりあえず、まぁ、うん、とか当たり障りの無い相槌を打って、恐らく他に何か言いたいことがあるはずだからと促すつもりで、「で?」と聞いてみる。
「えーと、あの、さ」
余程言いにくいことなのか、片方のツインテールの少女、名前は何と言ったか。確か高野だったか遠野だったか、である。ともかくその、なんとか野は言いづらそうに下を向いてしまう。
わざわざここまで来ておいてそこで口ごもるか普通! と、少々キレ気味にならざるを得ないリョーマ。それも当たり前の話だった。何しろ待ちに待った休み時間、全てから解放されて中庭もしくは屋上に逃亡しようとしていた矢先の出来事だったのだから。
「えー、と、その、越前さんって、跡部様と付き合ってるんだよね?」
非常に言いづらそうに言葉を繋いだのはツインテールじゃない方。ショートカットのこちらは長井さんだったと思う、である。
今更ながらのその問いに、リョーマは頷く以外に答える術を持たない。「うん、付き合ってる」なんて口が裂けても言いたくないし、何より最近の、彼女である状況を甘受しつつある自分が嫌で堪らないのだから。
「あ、やっぱり、だよねー」
「凄いねー、あの跡部様と付き合うなんて」
そんなリョーマの心の内になど全く気付かず、興奮したように二人ははしゃぎ出す。
一体何が楽しいんだろう、リョーマは目の前の二人を呆然と見つめた。
しかし、はしゃいでいたのも束の間、気付けば今度は困ったように二人は見詰め合っている。
本気でなんなんだ、とリョーマは困惑した。
「でも、やっぱ辛いよねー…」
「辛さとか見せない越前さんって格好いいと思うけど、あんまり溜め込まない方がいいと思うよ?」
「うん、他の人たちだって、皆やっぱりそういう辛いの溜め込んだせいで駄目になっちゃったりとかしたんだし」
「うちら、越前さんには頑張って欲しいって思ってるからさー」
「跡部様、格好いいけどそういうのはやっぱり女として辛いと思うもんね」
「うんうん、やっぱりきついよね」
何の話だ…!?
と、真剣に思ったリョーマは決して間違ってはいない。何しろ、二人の話は全く持って脈絡が無かった。
何も知らぬリョーマにはこれっぽっちも話が見えてこないし理解も出来なかった。当たり前だ。
しかし、そんなリョーマにも一つだけ、わかったことがあった。
すなわち、今の自分は跡部景吾との付き合いに於いて何か知らないことがあるらしい、ということ。
そして、それは、跡部景吾との付き合いによって【彼女】は非常に辛い思いをする、ということに関する何かであるということ。
二人の話は尚も続いていたがリョーマは相槌と聞き流しで上手くその場を切り抜けた。
さすがにこの場の二人に理由を問いかけるなんてことをするつもりはない。後から草子に聞けばいいことである。
「ともかく、頑張ってね越前さん!」
「応援してるから!」
笑顔で声援を送る二人に、うん、うん、と頷いて、リョーマはドッとため息を吐く。
気付いてみれば、休み時間はもう終わり、チャイムが鳴り響くところだった。