そんなわけで、超有名人跡部景吾の彼女になってしまった越前リョーマであったが、これといって生活が変わったわけではなかった。
 勿論、リョーマ的にはむしろ勘違いを正して付き合いそのものを無くしてしまえばいいんじゃないかという考えに思い至ったし、ぶっちゃけ実行しようとした。しかしそこではたと気付いたのである。
 彼はとても他の生徒から大事にされている、というか崇拝されている。学校中の生徒が、どこの宗教の教祖か、とばかりに跡部景吾を敬愛している。それは女生徒だけでなく、男子生徒も含まれているのである。
 そんな素晴らしき跡部様に、勘違いで彼女にさせられたんです。貴方のこと好きでもないんです、だなんて言ったらどうなるのだろうか。考えるだけで恐ろしい状況になるのではないだろうか。
 何しろ、跡部様は無条件で素晴らしいのである。そんな跡部様に勘違いさせたなんて最低。しかも結果的にあの跡部様振るなんてアンタ何様、ってなことになるような気がするわけである。
 別に、女生徒の嫉妬なんかはどうでもいいのだが、全校生徒の苛めとか真剣に勘弁して欲しい。だって、全校生徒である。有り得ない。
 詰まるところ、リョーマは現状をただありのままに受け入れる他なかったのである。
 跡部景吾の彼女になってしまったという、それだけの事実を。
 とはいえ、それで何かが変わったわけでもなく、リョーマはいつも通りの日々を送っていた。
 
 とある日までは。













〜彼と彼女の恋愛事情その2〜

『 始まり始まりのお話 』 















 その日、リョーマは部活仲間と共に部室に向けて歩いていた。非常に広い校舎内、一番部室に近い出入り口に向けてひたすら廊下を歩き続ける。それは、いつも通りの行動だった。確かに、最近は大会に向けて練習がきつくなってはいたが、それはリョーマ的には望むところ、強くなれれば何だって良いのである。
「あー…練習練習で、全然彼氏出来ないやー」
 はぁ、とため息混じり呟いたのは、部活仲間の近藤草子である。男友達ばかりのリョーマにとって唯一傍にいて苦ではない女友達であると言えよう。
「え、彼氏とか欲しがってたっけ?」
 今までの彼女との会話を思い出してみるけれど、そのような事は一切口に出していなかったように思う。
「それは、リョーマが興味ないから私も言う相手考えて言わないだけで。いつだって私は彼氏欲しがってるわよー」
 疲れた身体を優しく抱きしめて欲しいの、と笑う草子。
「疲れた身体、ねぇ…」
 ちなみに草子は非常にいい身体をしている。出るところ出て引っ込むところ引っ込んだ、所謂ナイスバディというヤツだ。しかも顔だって美少女、とまではいかないが、キリっとした整った顔立ちだ。だから、彼氏なんか作ろうと思えば幾らでも作れるはずである。そう、だからこそリョーマは彼女が彼氏という存在を欲しがってなどいないと勘違いしたわけなのだ。
「悪いけど、この身体目当てに群がるバカなんかに興味はないのよ。しかも最低なことに私って面食いなのよね」
「……面食い、ね」
 そりゃ、確かに彼氏欲しがってても出来ないはずだ。
 しかし、面食いといってもどの程度の面食いなのかが問題なのである。意外と氷帝学園にはイイ男が揃っている。しかも文武両道かつお金持ちな物件ばかり。勿論、全員が全員そうだとは言わないが。
「ちなみにどの程度なら合格ラインなわけ?」
「え、とそうねぇ、忍足先輩?」
「………うわぁ」
 そりゃ確かに面食いだ。氷帝トップスリーに入るだろういい男である。しかも草子からすれば年上で頼れる大人。
「もう、あの翳りある表情とかたまらないのよ忍足先輩!」
 いつそんな表情見たんだこいつ、とか思いながら前を向いた所、丁度目の前の角を曲がってこちらへとやってくるらしい話の中心人物忍足侑士とバチッと目が合った。
 あ、翳りある表情を見せる忍足先輩だ、と思う暇もなくリョーマはヒィ、と身体を固くさせた。
 忍足侑士の後ろから、何と跡部景吾が来たではないか。
 落ち着け、とリョーマ、心の中で呟く。そもそも付き合っているといってもそんな大したものではないはずだ。何しろ、あの一件以来今まで一度も会いもしないような恋人関係である。ぶっちゃけ向こう的にもどうでもよかったに違いない、いや、もしかしたら忘れているかもしれない。
 そう考えるとだいぶ落ち着いてくる。
 そうだ、気にすることはない。
「よぉ、リョーマ」
 否、物凄い、気にするべきだった。
「………ど、ども」
 あの跡部景吾に声をかけられている、ということに驚いて隣の草子は大口を開けて固まっている。その気持ちは非常に良く分かる。何しろ、自分だって一度経験しているのだ。あの、例の勘違い告白の返事を受け取った時に。
「なんや、跡部、知り合いか?」
「あ? まぁな」
「リョーマちゃん言うんか、校章とタイの色から中三やんなぁ」
 かわええな、とか言われてなぜか頭を撫でられた。非常に不愉快だが、相手は先輩、バシッと振り払いたい気持ちを押さえ、リョーマは一歩後ろに下がることでその手から逃れることにする。
「あらら、振られてもうた」
「ハッ、当たり前だろ、テメェの女癖の悪さは有名じゃねぇか」
「それに関しては跡部に言われたないで」
「勝手に寄ってくるんだから仕方ねぇだろうが」
「それを手当たり次第に食うのもどうかと思うで?」
 ぽんぽん言い合う二人だが、しかしこの場でこんな話するのはどうかと思うのだが。
 仮にも自分は一応跡部景吾の彼女という位置にいるというのに。その彼女の目の前でそんな言い合いは、非常に不味いのではなかろうか。もっとも、リョーマ的には物凄くどうでもいい。ただ、他の女性が自分の立場だったら、涙浮かべてダッシュ逃亡ぐらいしちゃいそうだ。
「ああ、リョーマ、お前今日一緒に帰るぞ」
「は?」
「男子テニス部の部室分かるだろ? そこまで来い」
「あかん! あかんでこんなかわええ子毒牙にかけたら!」
「行くぞ忍足」
「ちょお待ちぃや!」
 ぐいぐい腕を引っ張られてそのまま忍足侑士、跡部景吾と共に退場。ちなみに、その間も「リョーマちゃん気ぃつけやー」とか叫んでいる。
 そして、なぜか知らぬうちに跡部景吾と一緒に帰ることになってしまった。というか、声を出すタイミングを失い、気付けば強引に事は推し進められていたという感じだった。
 どっとため息が出る。
 気付けば、あちらの世界に旅立っていた草子が現実世界へ戻っていた。ぶんぶんぶんぶん腕を持って揺らしてくる。ウザい、痛い。
「ちょちょちょちょちょちょちょ! 何アレアンタいつの間に跡部様とお近づきに!」
「……………この前中庭でちょっと」
「っていうか、一緒に帰るって何、そんな仲良くなったの!?」
 その言葉に、リョーマは押し黙った。
 どう答えたらいいのだろう。というか、あるがままに言うのは確実に問題が有りすぎる。しかし、だからといって言わないのも後々問題が生じそうだ。
 そこでリョーマは、簡潔に事実だけを伝えてみることにした。

「や、何か、付き合うことになった」

 彼氏と彼女の関係?
 恋人同士になった?
 言い方は幾らでもあるだろうが、とりあえずはそういうことなのだから仕方ない。
 リョーマの言葉に硬直していた草子だったが、次の瞬間、ガッとリョーマの肩を掴んだ。

「な、ななな何よそれぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 草子の叫び、というかむしろこの場合は心からの絶叫が廊下中に響き渡った。