目の前の女生徒が差し出す手紙。
「受け取ってください!」
あまり気は進まないけれど。
「はぁ……」
受け取るほか無さそうだった。
【 愛しい君に溢れんばかりの愛情を 】
「やぁリョーマ君、ご機嫌いかがかな?」
わけのわからないテンションで声をかけてきたのは、誰であろう青学の天才不二周助である。
微妙な顔つきで頷いて、リョーマはまた手紙の中身に目線を戻した。部室には、いつものようにいつものメンバーが勢揃いしていた。そしてその場の全員がリョーマの持つ手紙の中身を気にしており。また、そんな状況のリョーマが気に食わないのか、不二はご立腹だよ、とばかりにオーラを漂わせた。
「気に食わないね。あぁ気に食わない」
オーラだけでは満足出来ず、口でもって補足である。
「何が気に食わないんスか?」
半ば投げやりだが、リョーマはとりあえず無言の圧力───勿論リョーマと不二を取り囲む他の青学レギュラー陣からのである───に負け、口を開いた。というか聞いてあげた。
「リョーマの意識が僕にないことだよ」
「へぇそうっスか」
適当だった。全くもって適当に答えていること丸分かりだった。勿論、そんな受け応えに満足するはずのない不二は怒りで微笑を浮かべ。それにより、リョーマはまたしても周りからの無言の圧力にさらされることとなった。特に胃を押さえている人からの。
「……………今、俺はこれを見てるんスよ。邪魔しないでください」
「今不思議な言葉を聞いたね。邪魔とか。邪魔って何?」
「だから、不二先輩が邪魔なんです」
実に彼らの努力を無駄にする発言である。胃を押さえている人の顔が白くなった。
「…………僕が邪魔…?
邪魔ってどういう意味だったかな。あぁ…好意的に受け取れば、賞賛的なとり方も出来たよね確か」
「……………え…」
「僕が格好いい、なんて……こんな場所で言っちゃ駄目だよ僕のリョーマ。皆が見てるからね?」
この世は悪意に満ちている。
「……………畜生」
誰も助けの手など伸べてはくれない。こんな奇人。いや変人か。むしろ変態? もっともそんなことはどうでもいいのだが。それの相手を自分一人がしなくちゃならないなんて、まったくもって不平等だ。もう少し、リョーマに優しい世界でもバチは当たらないんじゃないかと、本気で思ったりする。
少々やさぐれそうになる意識を、必死に浮上させたリョーマは、ゆっくりを不二を見た。
その視線に至極嬉しそうになる不二。
「………ちなみに不二先輩」
「周助って呼んでくれて構わないよ。僕のリョーマ」
わざわざ何度も、『僕の』、を入れる辺りが不二のいやらしさだとリョーマは思う。なんだか響きが卑猥だし。
と、そんなことはともかく。リョーマは笑顔で尋ねた。
「大嫌いってどういう意味っスか?」
実に簡単な単語である。
『大嫌い』
同じく笑顔で答える不二周助。
「あぁ、顔も見たくないくらいに大嫌い、とか使うよね」
「そうっスよね。そう使いますよね」
「うん。使うね。つまりは好きの反対ってことだね」
「そうっスね。好きの反対が大嫌いっスね」
にこにこ笑いあう二人。
その微笑のまま、リョーマは口を開いて言葉を発した。まるで世間話でも言うかの如く自然な流れでもって。
「あ、そうそう、俺不二先輩のこと、顔も見たくないくらいに大嫌いなんスよね」
言ってのけたよおちびのヤツ!と後の菊丸は語る。今現在は、とてもではないがそんな突っ込み出来る状況では決してなかった。ひび割れた空気。殺伐とした空気。どんな言葉で言い表したとしても、きっとその人は、その現場の恐ろしさを分かってはくれないだろう。
誰もが心の中で思っていた。有りえない。そう、有りえない状況だった。現時点、不二周助が硬直してるこの現場。
「さて」
すっきりしたのか、実に爽やかな顔でリョーマは手紙に向き直った。
そんなリョーマの肩を、がしっと掴む不二周助。
「陰謀だね」
誰のだよとリョーマは言ってやりたい。けれどそんな言葉一つで止まることはないから、暴走というのであって。
「誰が黒幕かな。いや、むしろきっと日本古来の大嫌いの用法が間違ってるんだと僕は思う。そうだ、それ以外に有りえないね。
きっと、どこかの誰かが、間違った使い方を教えて今に至るんだ。だからそうだね、僕のリョーマ君の使い方は間違ってはいないみたいだよ?」
黒幕とかどうしたよ。リョーマは半眼でそう思った。
「だから、僕は、僕のリョーマ君の告白を、ありがたく受け取ろうと思う」
一体いつ、自分は告白なんて、けったいなことをしでかしたんだろう。
世界って不思議。こんな生き物が生きることを許されている。
「僕に対して抱いてくれなんて…僕のリョーマ君は案外言ってくれるよね」
不二周助は、生ものだろうか。
ゴミの日には燃えるゴミの日に出すべきなのかと、半ば本気でリョーマは考える。
だって。
誰がいつ、どのようにして。
「抱いてくれなんて言ったんスかー!!」
「だからリョーマ君が言ったんでしょう。やだなぁ」
発言の主語が抜けていた。リョーマはしばし逡巡してから、ペチリと額を叩いた。
「違うそんなんじゃない! 俺はアンタが大嫌いだ!!」
先輩後輩の垣根をあっさり飛び越えるリョーマ。もう敬語になんて構っていられなかった。そう、この男に対抗するには、素早い判断と突っ込みが必要だった。
というか、もう既にリョーマは迷い込んでいた。どこかに。
「だから、大嫌いっていうのは、誰かが用法を間違えているから、愛してる、抱いてくれってことだってさっき言ったじゃない」
「うわバカ! ナニソレ!」
飛び越えるとかいう問題ではなかった。バカ呼ばわり。
「バカ? 愛称かな?」
「何言ってんの愛称とか! ワケわかんない!なんなのもうバカ!ともかくバカ!」
「僕のリョーマ君からの愛のある愛称か、いいね」
「何がいいねだっつの!つうか愛とかどこにあんの愛とか!」
「だからここにでしょう?」
「あーりーえーなーいー!」
崩壊の瞬間であった。
越前リョーマ。完全崩壊。
余談では有るが。
手紙の中身は、なんの変哲もないファンレターだった。
しかし、最後の締めくくりに───
『不二先輩とお似合いです!頑張ってください!』
と書かれていたことは、永久にリョーマだけの秘密である。
完