麗しき太陽の君。
 貴方を愛しております。

 そのお姿を拝見したくとも、我が身体はそれを叶えてはくれない。

 焦がれて焦がれて、夜を過ごす。


「アレはお前と共にはなりえないよ?」


 既に分かっていることを分からせるように呟く月の方。
 どうして放っておいてはくれないのか。



 ────願いは叶わない。


















【 The flower of moonlight T 】



















「───あー…ウゼぇ」
「獣道は…歩くもんや無いなー…」

 鬱蒼と生い茂る森の中、男二人が、文句を言いながら歩いていた。
 冒険者風の身なりのその二人は、突出した木の枝を切り捨て、燃やし、先へと進んでいる。けれど、進むその場所は獣道。切れども切れども燃やせど燃やせど──木、木、木。
「この道でいいっつったの誰だ? あ?」
「俺は知らんで。神様のお導きや」
「僧侶みてぇなこと言ってんじゃねぇ。テメェ魔法使いだろうが」
「治癒魔法も、ちょっとは使えんで?」
「あー…分かった分かった」
 喋ったことで余計に体力を使ったことに気付いたのか、剣を持つ男は黙って先へと足を進めていく。その後ろを歩きながら、魔法使いは声を上げた。
「お、明かりや」
「─────ようやく見つけたな、賢者の住む町」
「地図に無い町クァーフな、ホンマにあるとは思わんで普通」
「それこそ神様のお導きなんじゃねぇの?」
「俺のおかげや!」
 得意気に言い放った魔法使いの声に反応してか、ばさばさと鳥の羽ばたく音がした。
 ふ、と目線をそちらへ寄せてから、剣士は皮肉めいた笑みを浮かべる。そしてヒラヒラと舞い降りてきた木の葉を剣で切り裂いた。
「テメェのせいでこの町探す羽目になったって意味じゃ、そうかもなぁ───?」
「───っさぁ、きびきび行くでー!」
 あからさまに剣士の言葉を無視した形で、魔法使いが剣士の前へと進み出た。目の前を塞ぐ邪魔な木の枝を、短い呪文と共に杖の先から吐き出される炎で消し去る。灰がぼろぼろと零れ落ちた。
 そのまま一人、魔法使いがクァーフの町へと小走りに急ぐのを見て取って、剣士は面倒くさそうに髪をかきあげた。

「…………クァーフ、か。マジであるとはな」

 目の前に広がる、靄がかった光の束。けれど近づくにつれて、家々の輪郭がはっきりと見えてくる。
 隠れ里とも言われる、地図に描かれることのない、ただ存在することだけが語り継がれる町。クァーフ。
 目の前に広がる光景は、語り継がれる町そのものだった。
















 その町に足を踏み入れた剣士は、その特殊さに唖然とした。
 町のいたるところに、もしも外で出くわしたならば一刀の元切り捨てるであろうモンスターがウヨウヨいる。それも、そのほとんどが町の人々と楽しそうに会話をしていた。まるでそれが当たり前であるかのように。
「…………さすが賢者の住む町、な」
 古びた石造りの家々が立ち並ぶ通りを、ゆっくりと見回すと、男は面白そうに笑みを浮かべ歩いていった。
 クァーフの過去は誰も知らない。存在すら語り継がれているように、クァーフのことは外の世界には伝聞されていないのだ。つまり、外の世界から来た剣士にそれを知る術は無い。けれど町並みは、その歴史の深さを物語る。道に敷き詰められた石畳一つとっても、時代を感じさせてくれる。
 そんな歴史深い町に住む賢者。どれほどの人物なのだろう。剣士は、ここへ来ることになった事件への怒りも忘れ、面白そうに笑った。
 道が途切れ、剣士の目の前に人々で溢れる大きな広場が現れる。
「つか、伝説にされてるような町に、なんでこんなに人がいるんだ…?」
 広場の中央には噴水らしきものがあり、その前に人だかりが出来ていた。夜の闇を照らすように、明かりが一際集まっていた。近づくにつれ音楽が聞こえてくる。透き通ったような調べを奏でる楽器。名も知らぬその楽器はシャランシャランと美しい調べを奏でる。
 やがて、調べに重なるように、美しい歌が流れ始め、しぃんと静まり返る広場。惹かれるように、剣士は人垣からその中心を覗き込んだ。
 ふわりとヴェールが舞う。そこで舞う存在に、男は目を奪われた。

 それは、少年とも少女ともつかぬ、美しい人間だった。

 黒髪に、白い肌。腕や足を包む、薄いヴェールのような透き通った布が、神秘さを増している。艶やかとでも言おうか、全身をそんな雰囲気が覆っている。けれど、意志の強いであろうその濡れたように大きな黒い瞳が、全ての印象を決定付けていた。
 見るものを釘付けにする、否それだけでは飽き足らず、見るものの心を縛り付ける、そんな瞳。
 射抜く視線は、辺りを見回すように投げられ、そして剣士の元で止まった。踊りをそのままに、剣士と踊り子は見つめ合う。それは数秒とも、数分とも取れる、永遠の一瞬。
 やがて、踊り子は艶然と微笑んだ。
 二人の視線はそれを持って外され、踊り子は自らの責務を、剣士は自らの意思を取り戻したのだった。



「………なんだったんだ、今のは」
 広場を離れ、剣士は思わず呟いた。目の奥に焼きついたように離れてくれない。
 美しい少女また少年は、王都にも幾らでもいる。けれどあの者は別格だった。
「………チッ」
 頭の中を支配するかのような存在。それが剣士には気に食わなかった。
 消えてくれない、踊り子の笑顔。己を制御することに長けていると自負していた剣士にとって、今の状況はあまり喜ばしいことではない。
 ふと、音楽が聞こえなくなっていたことに気付き、反射的に剣士は辺りを見回した。薄暗い闇の中、ランプだけが光る裏路地。辺りに人は少ない。
 そんな中、ゆったりとしたペースで歩いてくるその人物が目に入った。
「───ねぇ、アンタ名前は?」
 それは、紛れも無く剣士に向けて放たれた問いかけだった。
 けれどあまりにも不躾で、あまりにも簡潔なそれ。剣士は目を細め吐き捨てる。
「じゃあテメェは何だ?」
 すると踊り子はヴェールを揺らし、楽しそうに笑った。
「そう来ると思った。俺はリョーマ。リョーマだよ、剣士さん?」
 笑い声をそのままに、先の踊り子、リョーマはそう言う。
「………ケーゴだ」
 それに対し、剣士、ケーゴは一言そう述べるだけ。けれど、リョーマは怒りもせず何がおかしいのか笑い続ける。
「何がおかしい…?」
「何がおかしい? そんなもの、俺とケーゴが会えたことがおかしいに決まってる」
 そう呟いて、またも笑う。これには、ケーゴも不審そうに顔を歪めた。
「そんな不審がらなくてもいいんじゃない?」
「会えたことがおかしいなんてのは、今までにねぇ経験だからな」
「じゃ、初体験だ。おめでとうケーゴ」
 けれど返された言葉はそれ。景吾は思わず苦笑した。
「確かに初体験だな」
「良かったね」
「あぁ、ありがとな。けど納得いかねぇ。他に理由あるんじゃねぇのか?」
 追求するようなケーゴの言葉に、リョーマはクスクスと笑う。
「無いよ? ケーゴは賢者に会いに来た。そして俺と出会った。
 その事実が面白いだけ。最高だね」
「………ちょっと待て。どうして俺の目的がわかる?」
「そんなもの、この町への目的が一つしかないからに決まってる」
 そう、この町は賢者の住む町。それ以上でもそれ以下でもない。
 賢者が住むことこそが、町の存在意義であり全て。だから、町の人間ではないケーゴが、何をしに来たかなど、お見通しなのだ、とリョーマは笑って言った。
「ケーゴは賢者に会いたいんでしょ? 着いてくれば?」
 その言葉を置き、背を向けて歩き出すリョーマ。景吾が問いかける。
「その言葉が真実である証拠は?」
「無いよ。別に着いて来たくないなら、来なければいい」
 軽やかに歩いていくリョーマの華奢な後姿。角を曲がるその姿を見、ケーゴは諦めたように笑みを浮かべると、リョーマの後を追った。

 そして連れてこられたのは、町から少し歩いた、森の中にポツンと在る小さな家だった。
 人一人がやっと住めるような、そんな小さな木で作られた家。そこにリョーマはノックも無しに無遠慮に入っていく。
「オイ」
「着いてきて。いいから」
 促され、ケーゴは黙ってその後に続いた。入り込んでまず目にしたのは、思いがけないその家の中の広さであった。
「………なんだ?」
 どう考えてみても、外観と中身が一致しない。その部屋は、あまりにも広すぎた。そしてその広い部屋から、幾つもの部屋へと続くのであろう扉が存在している。頭が混乱しそうだった。
「空間を歪めてるって話」
「空間を?」
 そう言われてみれば、確かに作られたような、妙な違和感を感じるといえば感じる。
 賢者というものの、力の強大さに、ケーゴは目を見張った。
「ミミズクの爺はいつもそういうことしてるよ」
「ミミズク…? それが賢者の名か?」
「本名は誰も知らない。ミミズクと暮らしてるからミミズクの爺」
 会話している間も、リョーマは幾つもついている扉を開け続けている。どうやら、そのミミズクの爺とやらがいる部屋へと続く扉を探しているらしい。
「呼びかければいいんじゃねぇの?」
「無理。ミミズクの爺、声聞こえないもん」
「ちょっと待て。ならどうやって話すんだ?」
「行けば分かる」
 あっさり答え、リョーマはようやく答えとなるべき扉を見つけたのか、手招きした。
「ホラ、ここがミミズクの爺のいる部屋。入れば?」
「構わねぇのか?」
「ん。アンタがこの家に入れた時点で、第一関門は突破してるしね」
「入るだけで、悪意のある無しが分かるってこと、か? ま、俺が突破すんのは当たり前の話だな」
 ニヤリと笑ってから、ケーゴはその部屋へと入った。
 入って、まず、ケーゴはワケの分からない違和感に襲われた。けれど、柔らかなその部屋の空気が、まるでその違和感を追求することを拒むように、ケーゴから思考を奪っていく。
 窓から日差しの入るその部屋の奥、古びた机越し、クァーフの賢者はいた。真っ白に染まった髪と髭は、どちらがどちらと分からないほどに伸びているようだった。至って普通の黒のローブに身を包み、細い目を瞑るようにして笑顔を浮かべている。
『ようこそ来なさったお客人。我が屋敷はそなたを歓迎する』
 柔らかな温かい、声だった。

それが、賢者とケーゴの邂逅。



















「おもろい町やなー」
 一人、クァーフの町を歩く者がいた。剣士、ケーゴと共にこのクァーフの町へとやってきた魔法使いだった。
「モンスターウヨウヨおるし。皆仲良しさんやなーええこっちゃ」
 一人呟きながら、辺りの様子を窺う。けれど、どれが賢者の住む家かなどは分かるわけもなく。
「………やっぱここは情報収集やろ」
 そう呟き、町の中一番活気があるであろう酒場へと入っていった。
 熱気とそして酒の匂いが溢れる酒場。たくさんの人間達がごった返すように飲み、騒いでいる。その中の一角に腰を据えると、酒を注文した。
 夜の闇に閉ざされているというのに、この町では男性も女性も、眠る気配が無い。幾つものグループを作って、町の者は話をしたり遊びに興じたりしているようだった。
 やがて、グラマラスな女性が酒の入ったグラスを持ってやってきた。酒を置いて、マジマジと顔を見つめてくる。
「あらお兄さん男前。冒険者さんね。職業は魔法使い?」
「せや。あ、ユーシって呼んでええで。美人やから特別や」
「あら嬉しい。私はユスよ。ここの看板娘してるの」
 うふふ、と笑うその女性、ユスの手をとると、魔法使い、ユーシはその手の甲にくちづける。驚くユスに、ユーシはニッコリ笑っておどけて見せた。
「俺の所では、これが普通なん。綺麗な女性には敬意を示せ、てな」
「お上手なのね、ユーシ」
 クスクス笑うユスにユーシは苦笑いを浮かべた。
「ホンマやって。心から綺麗や思た時しかせぇへんで?」
「なんだか嘘っぽいわね。それに私、冒険者さんとはあまり親しくしないのよ。
 だって、この町に来た人の目的はあくまでも賢者だから、いなくなってしまう人を思って悲しむのは嫌だもの」
「………まぁ、確かに俺の目的は賢者や。けど、ユスを綺麗や、思うのはホンマ」
「…………それだけは信じておこうかしら。賛辞の言葉、くらいはね?」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
「でも、やっぱり貴方も賢者を探しに来たのね」
 ため息をつくユスに、すまんなぁと笑うユーシ。
「まぁ、誰に聞いても同じだから私が教えてあげるけど。
 この町で賢者、というと、カメヤさんを指すの。この町の真ん中にある大きな屋敷よ、訪ねてみれば分かるわ」
「カメヤ、な。覚えたわ。おおきに」
「礼なんていらないわ。褒められてちょっと嬉しかったから、ね」
 ふふふ、と笑うユス。ユーシは苦笑すると、その腰を引き寄せた。そして悲しそうに見上げる。
「ほんまに、褒められただけやからなん? せやったら俺、メッチャ切ないわ…」
「…………ずるいわ」
「ずるくてもええわ。ホンマに惚れてもうたなんてのは禁句なんかな」
「…………ホント、ずるいわ」
 ざわつく酒場でのこんなやり取りは、ある意味日常茶飯事ともいえるだろう。けれど、ユーシはひくつもりも無く、そしてユスには、払いのけることは出来そうにもなく。
「…………アンタの家まで行きたいわ」
「終わるの、遅いわよ?」
「おりこうさんよろしく、ここで待っとる」
「…………わかったわ」
 去っていくユスに、ユーシはニンマリと笑った。
「ちょろいもんやな」
















「今のは、今の声は賢者の声、か?」
『そう、直接頭に語りかけておる。
 そして、初めましてということになろう。私が賢者と呼ばれる者』
 共鳴するかのように、頭の中に響き渡る声。それと同時に、目の前にいる賢者はにこやかに微笑んだ。自分が言っているのだ、と教えるかのように。
「………本当に、賢者なんだな……」
「何を今更。でも、賢者とはいえ万能じゃないんだよねーミミズクの爺?」
『さよう。テレパシーが通じるのは、私の目の届く範囲のみ。扉一枚、壁一枚でも遮断されてしまえば、私の声は届かぬし、そちらの声も届かぬ』
「便利なようでいて不便だな」
『事はそう上手くはいかぬさ』
 苦笑いを浮かべ、賢者は言った。
『私は多くの知識を得たが、代わりに多くの物を失った。
 何かを手に入れるために犠牲を払わねばならぬ。それは良くあること』
「それは警告か?」
『否、単なる言葉に過ぎんよ、若者』
「言葉、な。俺には、知識を得る代わりに何かを犠牲を払えと言ってるように聞こえるけどな?」
 ケーゴの瞳が賢者を射抜く。けれど飄々としたままの賢者はゆったりと笑い、そして後ろを見た。
『日が傾き始めたな。私の時間はもう終わる。
 若者よ、明朝、今一度この場所を訪れるが良い』
「日が傾き始めた? ちょっと待て、今は夜のはずだ! なんで太陽が存在する!」
 そう、違和感の正体は、太陽光だった。
 外は真っ暗だったのに、部屋を訪れた時、太陽は燦燦と部屋を照らしていた。そのことがケーゴに違和感をもたらしたのだ。
 それに対し、賢者はただ静かに言葉を重ねた。
『クァーフに朝は来ぬのだ若者よ。クァーフの日々は夜に存在する。
 私は空間を歪め、町の外、遥か彼方の光を入り込ませておるだけじゃ』
「……………夜の町……」
 ケーゴの呟きに、リョーマは悲しそうに目を伏せる。それに気付いたのは、賢者だけだった。
『私は日が射さぬ間、眠りにつく。良いかな?
 この町の詳しい話は、リョーマに聞くと良い。もっとも、リョーマが話すかは保証出来かねるがの。
 家のどこでも、使うが良い。朝になったらまた会おう』
 有無を言わさぬ賢者の言葉に、ケーゴはただ頷いた。そして促されるままリョーマと共に部屋を出る。
 途端、扉がサァっと砂でも落ちるかのように消え去った。
「なっ…!」
「ミミズクの爺の部屋は、ある意味異空間だからね。爺が眠りにつけば、自動的にあっちとこっちの繋ぎ目は切れる」
「………凄ェ寝つきの良さだな」
「……突っ込みどころはソコなんだ……」
「ここまで来りゃ、賢者が何をどうこうしようが驚かねぇよ」
「ま、その考え方は嫌いじゃないね」
 クスと笑うリョーマに、ケーゴはため息を吐いた。
 何はともあれ、肝心の話は先延ばしになったようだった。
「ま、ミミズクの爺は逃げないから安心してよ」
「別に、少しくらい先延ばしになったからって気にはならねぇ」
「それならいいけど。あ、部屋どこがいい? 適当に覗いてみて、良さそうな部屋あったら泊まればいいよ」
「別に野宿でも構わねぇんだけどな。むしろクァーフの宿屋かなんかでもいいだろ」
 ボソリとケーゴが呟けば、なぜかリョーマが目を見開いて食って掛かった。
「俺が構うし。ちょっとそれだけはやめてね」
 そんなリョーマの様子に、ケーゴはしばし黙って見、ニヤリと笑う。
「なんだ? 相手してくれんのか?」
「は!?」
「誘ってんだろ?」
「ちょっ!」
 リョーマの腰を引き寄せて、ケーゴは首筋に軽く唇を当てた。そのまま胸元へと手を滑らせる。
「やっぱり女か」
「なっ!」
 ドン、と突き飛ばされて、ケーゴは壁に手をついた。
「中性的だから、どっちかと思ってたんだが。まぁ女だよなぁ?」
「最っ悪! 死ねバカ!」
 叫んでリョーマは手近にあった部屋へ勢い込んで入った。バタンと激しい音を立てて扉が閉まる。
 けれど、少し経ち、閉まったはずの扉が開いた。ひょこりと顔を出したリョーマは、いつのまにか、服を着替えていて。仏頂面のままに、ケーゴをちろりと見つめる。
「アンタクァーフについて聞きたいんでしょ? 言える範囲でなら話してあげてもいい。何もしないって誓えるならね?」
 放たれた言葉はそれだった。思わずケーゴは笑った。
「…………面白ェ女」




















「今……朝やんなぁ?」
 目覚めたユーシを待っていたのは、ユスを抱いて眠りについた時と同じ暗闇。思わず窓の外をしげしげと見つめつつ、ユーシは隣にいまだ眠るユスに目をやった。
 丸々一日中眠りについていたとは到底考えられなかった。それに、薬を盛られたとも考えにくい。何しろ、ユスはまだ隣で寝ているのだから。もしも薬を盛ったのがユスだとしたら、今頃自分は死んでいるか、路上に放置されているだろう。
「…………起こすん忍びないんやけどなー…」
 ボソリと呟いてから、ユーシは柔らかな身体を軽く揺らして、ユスの目覚めを促した。やがて、小さな吐息を漏らして、ユスが目を開く。パチパチと瞬きをして、ゆっくりとこちらを見つめた。
「なぁに? ユーシ?」
 甘い声に、ユーシは笑顔を浮かべた。けれど、同時に、申し訳無さそうに頭を掻く。
「すまんなぁ。朝から悪いんやけど、ちょお質問してもええか?」
「ええ。構わないけれど」
「今って、朝なん? それとも夜なん?」
「………ああ、そのこと。クァーフに朝は無いのよ。夜しか存在しないの」
「はぁ!?」
「夜の町、クァーフ。賢者の住む町はそうとも呼ばれるわ」
 うふふ、と笑うユスに、ユーシは驚きのまま窓の外へ目線をやった。
「夜の……町……」
「だから、今がクァーフにとっては朝。時刻を知らせるのは、月が明るいか暗いか、よ」
「それで…よう生活出来とるなぁ」
「慣れよ慣れ。フフ」
「慣れ、な」
 一つ伸びをして、ユーシはベッドから降りる。そのままベッドの下に落ちている服を着込みつつ、ユスに言った。
「………ま、今が朝言うなら、賢者も起きとるやろ。会いに行ってくるわ」




















『して、そなたは何を望む?』
「………知りたいことがある」
『私は確かに広く深い知識を持っておる。しかし、それでも世界の全てには到底足りん。
 それを分かっていて、私に聞くのかな?』
「ああ。賢者が分からねぇことは、他の誰にも分からねぇしな」
 賢者にも、知らないことは存在する。
 しかしながら、今この時点で、何よりも物知りとされているのは他ならぬ賢者なのだ。その賢者が知らないことを他の誰かが知っていたとしても、それを探し出すのは、賢者を探すことより困難だった。
「詳しい話はしねぇ。簡潔に聞くが、動物にされた人間を元に戻す方法はあるか?」
 ひたと賢者を見据えてケーゴが尋ねる。賢者はといえば、難しい顔を浮かべた。
『あるにはある。しかし無いといえば無い』
「どういうことだ?」
『至極難しい。人間の身体を持つ者に、それが成せるとは到底思えん』
「…………詳しく話してもらいたい」
『人間を動物にする方法は、大まかに二つ、分けられる。
 呪い、魔法によるもの。そして薬によるもの。
 呪い、魔法の場合は、その呪いもしくは魔法をかけた人間が直接解くか、もしくはその人物が死ねば解ける。
 薬の場合は、万能薬を飲むほか術は無い』
「そうか。魔法をかけられたという話は聞いてねぇから……万能薬だな」
『それはまた……』
 苦笑いを浮かべる賢者に、ケーゴは不審そうに顔を歪めた。
『万能薬を作るには、処女の血、グレイドラゴンのヒゲとジンチュキアの蕾を必要とする。
 それがどういうことか分かるかな?』
「…………んだそりゃ。他に方法は無ェのか?」
 呆然としたように、ケーゴは尋ねた。しかし賢者は首を振る。
『もしかしたらあるかもしれぬ。しかし私は知らない』
 思わずケーゴは黙り込んだ。
 グレイドラゴンは、極寒の地に生息する、世界最強とされる生物である。ドラゴン族の王とも呼ばれているが、そもそもそグレイドラゴンに会うことが困難であるため、そのドラゴンが真に最強であるか否かは、想像の域を出ない。
 また、ジンチュキアは、遥か昔に絶滅が確認された、花の名。
 どちらにせよ、どれもこれも入手が困難、否、入手が不可能といっていい物ばかりである。
「最悪だな」
『さよう。至極困難極まりない話』
「……………お手上げってことか……」
 思わずケーゴの口からため息が洩れた。
『否、若者よ、答えを出すにはちと早い。
 入手が困難であるということは、入手出来ぬわけではないということ』
「どうやって」
『伝説とされるグレイドラゴンが実在することを私は知っておる。そしてジンチュキアは、精霊の住まう世界にならば時を止めたものが存在しておるはず』
「精霊の世界!? 尚更無理な話だろうが! 存在することは分かる。恩恵にあやかって魔法使ってんだからな。だからって、その世界に行けるかとなると別だろ」
 声を荒げるケーゴに、賢者はただ静かに目を閉じた。
『条件はただ一つ。リョーマが傍におるかおらぬか。それだけのこと。あの子は、通行証の役割を果たすもの。
 のう、若者よ。願いがあるのだ。
 この地に縛られた哀れなあの子を助けてはくれぬかな?』
 ケーゴにそんな言葉を投げかけて、賢者は優しく笑った。




















「おっ…ここやな、カメヤいう賢者の家は」
 近辺の家々と比べると、随分と大きな家だった。そして、なぜか外壁が真っ黒に塗りつぶされている。不思議に思いつつも、ユーシはその家の中へと足を踏み入れた。
「ちょっとお邪魔すんでー…」
 声を掛けてみるも、誰も出てくる気配はない。
「なんや……?」
 そして、その代わりとでもいうように、じわじわと背筋を襲い来る、恐怖のような嫌な予感。
 その予感を裏付けるように、入ってきたはずの扉を後ろ手に開けようとするも鍵がかかってしまったかのように開かない。そして、更に困ったことに、この空間に魔力の存在を感じられないのだ。
 つまり、この場所では魔法が使えないということ。

 トサッと嫌な音が響く。
 何かが上から落ちてきたような、嫌な音。

 それは真っ黒なフードを被った、人間の半分程の大きさの、奇怪な生き物。フードの中から、ギョロリと大きな紫色の目玉がこちらを見やる。
 それは、ユーシを見ると、ニヤリと笑った。

「………俺もしかして……相当ヤバいんとちゃう…?」

 呟きに答えられるものは、誰ひとりいなかった。














To be continued










■RPG風を書こうと思ったら、こんなものが。