まるで時間がゆっくりと流れているようだった。

 とろりと濃厚な蜂蜜がしたたりおちるように
 バターが溶けていくように
 やわらかくて、温かな水の中にいるような気分だった。


 それは日差しのせいでもあるし。

 己の眠気のせいでもあった。


 けれど、それを何よりも作り出しているのは。


「……すー…」


 気持ち良さそうに寝息立てている景吾のせいに他ならない。











『 猫のように 』 〜跡部一家物語〜











 その日、リョーマは大きな大きな一枚窓の傍で、コテッと横になっていた。
 何を隠そう昼寝である。最近、いい天気が続いているせいで、リョーマの日課は昼寝となっていた。
 気持ちいい太陽光にぽかぽかと照らされつつ、リョーマはマイ毛布に包まってぬくぬくと眠りにつく。これほどの幸せは早々見当たるまい、とか思いながらリョーマは昼寝をするのだ。
 勿論、それら全ては跡部の屋敷で知らぬ者などおらず、むしろリョーマが昼寝を始める時間になると皆一様にリョーマを見に行く始末である。昼寝を楽しむリョーマは猫のようで非常に愛らしかった。例え子供を産んでいようが、もう可愛らしい少女という歳で無かろうが、リョーマは兎も角可愛いのである。そんな観客には全く気付かず、リョーマは惰眠を貪る。

「………ん…」

 ころん、と身体の向きを変えて、リョーマはすぅすぅ眠りにつく。
 はぁ、と至福のため息をつく跡部家使用人達を他所に、その場を破壊しかねない存在がリョーマの近くへと近寄っていった。

「おい、リョーマ」

 遠慮も何もなく、眠りにつくリョーマに声をかけたのは、跡部景吾である。
 珍しく仕事を早く終え、というか無理矢理終わらせ、奥方のテニスに付き合ってやろうかと思っていた所にコレである。非常に気持ち良さそうな辺り、何だかこうやるせない気分になる。

「んー…」

 しかし、リョーマの眠りは深く、目覚める様子はない。景吾の口からため息が漏れた。
 辺りにいた観客は景吾の登場で、皆散ってしまっていた。リョーマが起こされ、結局テニスすることになるだろう結末が想像ついたからであるのだが、結論付けるのは早かったと言えよう。なぜなら、今日の景吾は気まぐれにも、一緒に昼寝しようかな、なんて考えに至ってしまったからなのである。
 傍に眠る奥さんは、非常に非常に気持ち良さそうだ。
 確かに天気も良いし、何より毛布が非常に魅力的に見える。

「……リョーマ」

 もう一度声をかけてみるも、やはり起きる気配はない。

「…………たまにはな」

 誰に言うでもなく呟いて、景吾はリョーマの隣にしゃがんだ。
 そして、毛布の中へと入り込んで、リョーマを抱きしめた。

「………ねむ…」

 ふあ、とか欠伸一つして、景吾もまたリョーマを追いかけるように夢の中へと入っていった。














 目覚めたリョーマを襲ったのは、何よりもまず衝撃、であった。
 周りを取り囲む環境も驚きだが、何より自分を抱きしめて眠っている男も実に衝撃だ。

「おはよう、リョーマちゃん」
「おはよう、母様」

 しゃがんでこちらを覗きこんでいたらしい景吾ママと、景吾、リョーマの娘である芹華。景吾ママの方は非常に面白そうな顔をしているが、対して芹華は羨ましそうにこちらを見つめていた。

「な、何…」
「何って二人が昼寝してるから、いいわねって見てたのよ。ねぇ、芹華」
「ええ。私が母様と昼寝したかった。どうして誘ってくれないの、母様」

 じとっと責めるように芹華は言う。けれど、リョーマに言わせれば、景吾を誘った覚えもないのだから、責められる筋合いもないのだが。とはいえ、それを言えるはずもなく、黙り込む。
 しかし、なんだって景吾はここにいるんだろう。謎である。

「あら、別に誘われなくても一緒に寝ればいいのよ、芹華」

 うふふ、とか笑いながら景吾ママ。それに対し、ああ、と今更ながらに気付いたような芹華は微笑んで頷いた。

「うん、別に許可なんて求めなくて良かったんだったわ。有難う、麗華お婆様」
「いいえ。さて、私は仕事があるから戻るけれど、ゆっくりお休みなさいね三人とも」
「麗華お婆様も色々お気をつけて」

 一人スッキリした表情の芹華は、手を振って景吾ママを見送る。景吾ママも、途中現れた執事に何か言いつけて部屋を後にした。
 残ったのは、自分と景吾と芹華の三人である。勿論、執事が外にいたりするかもしれないし、他にも色々といるかもしれないが、今の状況では知ることは出来ない。
 なんて言ってる間に芹華は毛布の中に入り込んでくる。

「母様に抱きしめられて眠りたいけれど、それも無理だし、本当に邪魔だわ、その男」

 ブツブツ言いながら芹華がリョーマの背中にぴったりとくっつく。正面は景吾が、背面は芹華がくっついた状態である。

「母様、おやすみなさい」

 嬉しそうな芹華の声に、リョーマは、あ、うん、と頷くのが精一杯だった。
 頭の上では、気持ち良さそうに寝息を立てる景吾。後ろでリョーマにぴったりとくっ付く芹華。
 太陽は相変わらず照っていて、ぽかぽかした陽気のまま。
 
 非常にほのぼのしていて、気持ちがいい。

 景吾の胸に頭をくっつけてみる。そして景吾の呼吸を感じつつ、目を閉じればすぐにも眠れそうだった。
 けれど、何となくそれも勿体無い気がして、リョーマはそのままただ温かさを感じ続ける。

 前に景吾、そして後ろに芹華。この状態でただ体温を感じる。お日様の熱を感じる。
 幸せな時間とは、こういうのを言うのかもしれなかった。











 勿論、そんな時間はそう長くは続かないのが世の常である。

「あー…! 何やってんだよっ!」

 一人仲間はずれにされていた、景吾とリョーマの息子である恭真の帰宅にその時間は無残にも壊されることになった。
 叫び声に起こされないはずもない。起こされて非常に機嫌が悪そうな景吾、芹華が恭真を睨み付ける。が、恭真も負けじと二人を睨んだ。

「……何って寝ていたのよ。見ればわかるでしょう?」
「…ったく、うるせぇぞ恭真」

 仏頂面の二人に、恭真はぎゃーぎゃー騒ぎ立てる。

「そもそもなんで俺より早く帰ってきてんだよ二人して! 今日は俺が母さんと寝ようと思ってたのに!」

 ちなみに、最近のリョーマの昼寝癖は景吾以外の誰もが知っていることだったため、家族は皆、リョーマの昼寝に一緒しようという目標を持っていたのである。そして、芹華は念願叶い、恭真は夢破れたわけで。

「恭真、世の中は弱肉強食なの。もたもたしていたら、やられてしまうのよ」

 誰にって勿論、芹華にであるし、しかも大概において、この二人の力関係は芹華が圧倒的に上である、悲しいことに。それが恐らく一生変わらないであろうことは想像がつくが、優しい芹華は言わなかった。何より言わない方が面白い。

「………喧嘩してるところ悪ィが、お前等もうちょっと声のトーン落とせ。リョーマが起きる」

 その声に、二人がハッと息を止める。慌ててリョーマを見れば、確かにすやすやと眠っている。
 気持ち良さそうに寝息を立て、景吾の胸に顔を寄せていた。

「その状況、物凄い腹が立つけれど、気持ち良さそうね、母様」
「……ま、一番慣れた場所だろうからな」

 景吾が笑ってリョーマの頬に指をすべらせた。

「んんっ…」

 リョーマがもぞもぞと景吾の胸に顔をこすりつける。その様子にほわっと顔を緩ませる三人。

「………麗華お婆様、フィルム残してるかしら?」
「当たり前だろ」

 頷く景吾に付け足すように恭真が思い出したように呟く。

「あ、そういえば、辺りにメイド達いっぱいいた」
「それならば安心だわ。後でフィルム貰わなくちゃ」

 きっと、最初から最後まで、リョーマの姿が映っていることだろう。
 まるで、猫のように眠る、リョーマの姿が。
 そして、それを守るように眠る自分たちの姿も。












END