【 蚊取り線香 】












「蚊取り線香が手放せない………」

何とも言えない口調でリョーマは手の中にある蚊取り線香を抱きしめた。

「蚊取り線香なぁ…別に、んな匂いきついもん使わなくても色々あんだろ?」

と言葉を返す景吾にリョーマは絶句といった表情でふるふると身体を震わせる。

「蚊取り線香馬鹿にすんな!」
「してねぇだろ!」
「してる思いっきり!匂いがきつい?ハッこれだから坊ちゃまは!
俺なんか、アメリカでまで蚊取り線香愛用してたんだからね!ベープマットなんて邪道だ!」
「…………お前、なぜそこまで蚊取り線香に拘る…」

リョーマのあまりの激昂っぷりに呆然といった様子で景吾が呟く。
そもそも、引き合いにだした坊ちゃまって何だ。幾ら何でも二十代の男捕まえて坊ちゃま呼ばわりはねぇだろと内心景吾は思う。口には出さないが。

「そんなもの、蚊取り線香って代物を今まで知らずに生きてきた景吾には分かんないんだよ!ハッ!バァカバァカ!
日本の夏は蚊取り線香と風鈴!これは決定事項!坊ちゃまの景吾には分からないだろうけどね!?」

言われるとおり、景吾はリョーマと結婚するまで蚊取り線香の実物を見たことが無かった。自宅は快適に暮らせるようにと色々な設備が整っている。どうやって蚊を寄せ付けないようにしているのかは知らないが、技術部の涙ぐましい努力の結晶だろう。
そんなワケで実際問題跡部邸に蚊取り線香は必要ないのではあるが、リョーマのわがままにより持ち込まれ、とある一室のみそんな設備が切られている。意味が分からない。
なぜ、蚊を寄せ付けないように出来る設備を切ってまで蚊を近づけさせ、更に蚊取り線香を使わねばならないのか。
つか、マジいらねぇじゃねぇか蚊取り線香、と景吾。手放せないなんてことは全く無い。全然手放してOKってやつだ。
………言わないけれど。

「………まぁ俺は構わないけどよ」
「よろしく」

にこにこ笑顔で蚊取り線香を眺めるリョーマ。
そんなワケで、とある一室……景吾とリョーマの寛ぎ部屋は、夏の間中蚊取り線香臭いのだった。





余談では有るが、執事もこの蚊取り線香愛用同盟に名を連ねていたりする。










END