【戦場のバースデイ】










 お誕生日はどのように過ごすか。
 それは、跡部家にとって結構な大問題であった。










 十月四日。それはある人の誕生日である。
 言わずと知れた、跡部景吾その人の誕生日。
 正直なところぶっちゃけて言えば、結婚してる上に誕生日を喜ぶ歳でもない、それは確かだ。
 しかしである。天下の跡部家の人間の誕生日となると、それは壮大なスケールでの催しが展開されてしまうのである。それこそ、一般人の誕生日パーティーって何、ってくらいには。
 来客の数も凄まじければ、会場も料理も凄まじい。一般人が迷い込んだなら、一体どこの貴族が開いたパーティーなのだろう、というかここは現代なのかと首を傾げるに違いない。それくらいに豪華絢爛だ。
 そんなわけで、奥方跡部リョーマはいつもいつもこの時期、大層な困難にぶち当たる。
 それは、どうやって景吾バースデイパーティーから逃げ出し、景吾だけを祝うことが出来るか、だったり、パーティーで着るドレスをどれだけ地味めなモノに抑えられるか、だったり。要するに、目立ちたくないという願望をどれだけ満たすことが出来るか、というものだ。
 というか、基本的に逃げなくてはいけない対象は景吾ママのみだったりするが、意外とこれが難しくていつも上手くいかない。
 大体そもそも、景吾ママはいつだって姑息で卑怯で策士なのだ。仮にも夫の母親に向けての言葉ではないが、他に言い表しようがないのだから仕方ない。
 外堀から埋めて、泣き落としでも何でも使い、あまつさえ他人、特にリョーマにとっての鬼門を使用してきたりする。時には景吾を人質にとりさえする。しかもその人質のとり方が実に姑息。リョーマ的に景吾が迷惑を被るくらい何てことないのだが、その迷惑が自分にもかかって来るとなると話は別になってくる。勿論景吾の迷惑の被り方は話しにならない状況、少々可哀想になるくらいに。
 そんなこんなで仕方なく涙を呑んで要求を受け入れるのだ。ちなみにその要求は大概がリョーマコスプレ(笑) 息子の嫁に要求するようなことでは決してない。断じてない。コスプレって何だ。
 そんなわけでリョーマは悩みに悩んでいた。景吾の誕生日が近いということは、決戦の日が近いということなのだ。
 当事者は大概逃れられない。つまり景吾は逃れられない。けれどもしかしたらパートナーたる自分は万に一つくらいは逃れられるかもしれない。それならば、期待に応え、その万に一つをゲットしてみせようじゃないか、と。
 ………勿論、自分のバースデイは全く逆の立場になることは重々承知の上で。










「よぉリョーマ」
 景吾の機嫌は当たり前だがよろしくないようだった。
 そりゃ、もう誕生日当日だし、機嫌も下降するのは仕方の無いことかもしれなかった。普通誕生日当日は多少なりとも機嫌良くなったりしてもよさそうなものだが、跡部家に生まれつき、リョーマを嫁にもらった時点で、誕生日の不幸は決定してしまったのだ。哀れな話だが。
 リョーマは、そんな哀れな景吾を打ち捨ててでも逃げ出そうと必死に計画を練っている。ちなみに現在のリョーマの格好は、なぜかゴスロリだ。つか人妻が着る服装ではないだろう、と景吾ママに言いたいのだが――というのも毎日の服装はなぜか景吾ママが用意するわけで――言ったところで、似合うからいいじゃない、とか返事が返ってきそうで言えやしない。
 なんだろうか。泣きそうになるリョーマである。現状に慣れつつあることが恐怖でたまらない。
「ふっふ、景吾。今日の俺は一味違うよ」
 とりあえず、エスケープの計画はとっても綿密に練ってある。可能性は高いはずだ。
 しかし、景吾はリョーマの発言を笑みと共に一蹴した。
「無駄だ。今回、あの女は、凄ェ計画を打ち立ててやがる。で、成功させるためにも、お前の逃亡計画阻止に全力で当たるみたいだからな…」
 けれど、最後はため息で締めくくられた。その主役が自分であることに思い至って、色々萎えたんだろう。やはり哀れだ。
「なんで俺まで…! いいじゃん景吾バースデイなんだから奥さんいないくらい!」
「それは、俺じゃなくアイツに言えよ」
「だって主役は景吾」
「残念だが、脚本家は俺じゃねぇ」
「俺は脇役も嫌なのっ!」
 ふるふる震えながらリョーマが叫ぶと、景吾は小さく笑った。
「俺は主役が嫌だ」
 ボソリと呟かれた言葉に、リョーマは更なる震えを覚えた。明日は我が身である。自らの誕生日を考えると恐ろしくて仕方ない。
 なぜ、自分の誕生日は、あの有名すぎる記念日にかぶってしまっているのだろう。きっと景吾のバースデイで凄い計画が打ち立てられているのなら、それを上回る規模でもって、計画が立つことだろう。
「つかそもそも、どうやって逃げる気なんだ?」
「え? 今回は前もって変装用の服と鬘を用意したから、客が来始めて慌ただしくなったら、逃亡しようかなぁと」
 意外とノーマルな手段ほど、成功しやすいものだ。
 搦め手ばかり選びすぎていつも失敗していたのだろう。だから正統派な手段を選んでみたリョーマだ。
「甘ェよ。今回はホントにあの女は全力投球だぜ?
 客は時間指定の上、来場することになってる、っつうかそもそもお前の周りにいっぱいいるSP気付かねぇのか?」
「えっっ!?」
 思わず辺りを見回してみる。しかし辺りに人の気配は感じられない。リョーマは首を傾げつつ、景吾に言った。
「勘違いじゃなく?」
「監視用にSP大量に雇われたみたいだから、俺とお前に張り付いてんだろ」
「…………監視用…」
 普通はむしろアレじゃないのか。
 ボディガード的に雇うんじゃないんだろうか、SP。
 摩訶不思議な世界である。SPを監視用に大量に。どれだけの人員がそこに使われているかを考えると、一体誕生日に幾ら費やしているのかと気が遠くなりそうになる。もっとも、どれだけ金を使おうとも、跡部家が傾くなんてこと、ありえないのだけれど。
 景吾ママの経営手腕は凄まじいばかりで、跡部家の財政は右肩上がりだ。そしてその息子である景吾も言うまでもなく。一生稼ぎ続けそうな気すらする。
 とはいえ、だからってこんなことに金つぎ込まないで欲しいなぁと思うリョーマだが。

「あらこんなところにいたのね二人とも!!」
 景吾ママの登場である。
「………ああ」
「け、景吾ママ……凄い格好……」
 赤いドレスでスリットばっちりである。景吾と二人並ぶと一対の絵のように決まっている。
「ドレス新調したの。リョーマちゃんのもあるわよ」
 当たり前のように言われた言葉に、しばし呆けるリョーマ。
「え、俺のも?」
「ええ。リョーマちゃんの場合は、悪女なのか聖女なのかみたいな無垢とエロスの境目で揺れ動いてる、微妙な感じのドレス」
 うわぁ。
 リョーマは言葉に出さずに引きつった。
「ほぉ。俺としてはそのドレスが脱がしやすいかそうじゃねぇかが問題になってくるんだけどな」
「脱がしやすいに決まってるでしょ。そこまでちゃんと意識したドレスよ。とびっきり淫らに脱がせられるように作らせたもの」
 なぜ、景吾ママが脱がしやすさを考慮するのか?
 というかオーダーメイドで、淫らに脱がせられるように、っていう発注をするのだろうか?
 恥ずかしい。かなり恥ずかしい。どこまでも恥ずかしい。
「…………遠慮したいんだけど」
「無理よ」
「却下」
 そういえば、景吾は燕尾服だなぁ、と半ば現実逃避気味に考える。着崩し方がまた景吾らしくて、何ていうかエロい?
「どうせ逃げられねぇんだったら、俺はこの状況をとことんまで楽しむことにした。
 テメェも覚悟して付き合いやがれ」
「嫌だー…。だってそんな、微妙なドレス着て人前に立つんでしょ!? 恥ずかしすぎる!」
「恥ずかしい? あら? 言わなかったかしら。今回は仮面舞踏会よ」
 ぶほっと噴出す音が二組聞こえた。開かれたパーティーの形式までは知らされていなかったらしい景吾。リョーマと同じく驚いた表情を浮かべている。
「か、かめんぶとうかい………?」
「ええ、そうよ」
仮面舞踏会。また予想外な展開だった。











 結局逃亡は出来ず、リョーマは言われるがままにその、微妙なドレスを纏い、仮面をつけ、パーティー会場に立っていた。
 そもそも、仮面舞踏会を開く意味が分からなかったりする。顔を隠すことは、リョーマにとっては嬉しいことだが、他の人たち的にはどうなんだろうか。まぁ、知るすべなどないのだが。
 それにしても、顔が分からないって本当に素晴らしいことだ。ドレスのせいで少し目立っている気もしないでもないが、跡部リョーマであるという理由で目立っているわけではないから、許容範囲内だ。リョーマは珍しく、パーティーを楽しめそうな気がしていた。
 が、しかし。
 勿論、物事はそう上手くはいかないもの。
 何しろ、本人無自覚であるが現時点でリョーマは目立ってしまっている。ちなみにそれは、ドレスのせいだけでは決してなく、リョーマの艶やかな黒髪だったり、その仮面では隠し切れない整った顔だったり、何よりリョーマの放つオーラのせいであるわけだったが。
 結局のところ、跡部リョーマであるとバレなかったとしても、リョーマがリョーマである限り、人の目は集めてしまうということになる。
 そして、人の目が集まるということは、当たり前のように声をかける男が現れるということでもあり。
「初めましてお嬢さん、ちょっとよろしいですか?」
 このように、人当たりのよさそうな笑顔で、多分美形と思われる男がリョーマに声をかけたのは予想にたやすい出来事だった。
「?」
 不思議そうにその男の仮面越しの顔を見上げ、リョーマは首を傾げた。
「何か?」
「一曲、踊っていただけませんでしょうか?」
 スマートな誘い口調だったが、リョーマは慌てて首を振った。当たり前だ。リョーマには踊るわけにいかない理由があるのだ。
 このパーティーの主役に誘われ、嫌だと撥ね付けここにいる。それで、この男の誘いを受けたら、景吾がどれだけ怒り狂うか分かったものではない。そもそも、景吾以外と踊るな、と景吾と景吾ママ、それに途中から現れた景吾パパに言われてもいる。さすがにそれは無視できない。だって自分の身に何が起こるか分からないし。
「すみませんが、無理です」
 とりあえず、理由は述べずに断りにかかる。
「駄目、ではなく無理、なのですか?」
 リョーマの断りの返事に対し、男が気にした点はそこだった。
 ただ、リョーマ以上に周りの人間が嫌がるので【無理】という言葉を使っただけで、正直なところ、駄目も無理も一緒みたいなものであるのだが、そこまでその男に話すつもりは毛頭無く。
「とりあえず、踊れないので他の人誘ってください」
 仮面越し笑顔を浮かべ、といっても顔の上半分だけを覆う仮面なので笑みを浮かべた口元は見えているのだが、リョーマはそそくさとその場から逃げ出そうとした。
 けれど、そんなリョーマの腕を掴み、男は引き止めた。
「待ってください」
 何やら、嫌な予感に包まれるリョーマ。
 まるでアレみたいじゃないか?
 あの十二時の時計が鳴り終わるまでに…の、例のアレ。
「貴方はシンデレラのようですね。これからという時に消えてしまいそうになるなんて」
 どうやら、男の方も同じことを考えていたらしい。曖昧に笑いつつ逃亡を図ろうとするが、上手くいかない。思わず舌打ちをしたくなるリョーマである。
 そして、男が笑顔を浮かべた。というのも、この男が仮面を外したから、笑みを浮かべていることが視界を通して分かるようになったのだが。
 ちなみに男は、やっぱり美形だった。景吾を見慣れているリョーマにしても、見惚れるくらいには美形だった。
 しかし、なぜ仮面を外すのだろうか。どうして自分はこの男に腕を掴まれているのだろうか。
 リョーマの背中を嫌な汗が伝う。
「私は貴方をとても気に入りました。貴方のような方にお会い出来るなんて、このパーティーに参加した意味があるというものです。
 正直なところ、このパーティーに対して、私はあまり重きを置いてませんでした。ただ純粋に、跡部景吾さんを祝う会として参加させていただいていたのです。
 ですが、このように私の心を掴む女性と会わせてくださるのならば、参加して本当に良かったと思えます」
 男の言葉に、リョーマは不審げに眉を寄せた。
 ただ純粋に、跡部景吾さんを祝う会として?
 それではまるで、他に目的があるかのようで。
「あの、参考までにこのパーティーについて詳しく…」
「? 詳しい説明は招待状に書かれていたと思いましたが」
「生憎、その読んでいる暇がなくて…」
 何しろ強制参加だったからね、とは言えないリョーマ。
 というより、裏があるなら先に言っておいて欲しかった、とリョーマは心底思う。
「出会いの場を提供する、それがこのパーティーの趣旨です。気に入った方がいたら、仮面を外して自由に親交を深めるといい、とも書かれていましたので、その通りにさせていただきました。
 もっとも、実際は名乗りあってから、というのがセオリーなのでしょうが」

 ジーザス…!!!

 結構本気でリョーマは思った。
 名乗りあっていたら、きっと何事も起こらなかったに違いない。
 もっとも、跡部リョーマと名乗ったら名乗ったで、また面倒なのは面倒なのだけれど。
 というかそもそも、実の息子の誕生日パーティー使ってどうしてこんな大変な催しを思いつくんだ景吾ママ!と叫んで掴んで尋ねたいリョーマ。
 ああ、跡部家って大変だ。今更ながらにリョーマは肩を落とした。
「どうなさったんですか?」
「いやもうホントに、面倒だなぁと思って」
 丁寧な対応も何もかも面倒くさくなったリョーマはラフな口調で答えた。けれど、驚いたような表情の後、男は笑顔を浮かべる。
「本当の貴方はそういった物の言い方をなさるんですね。とても可愛らしい」
 いやいやいや。
 可愛いと今の口調は絶対に結びつかないだろ、と突っ込んでやりたかったがリョーマにはそんな気力はなかった。

 何しろ。
 男の後方、モーゼの十戒の如く人並みが割れていくのが目に入ったからだ。

 うわぁ、来てる来てるよこっちに来てる。
 リョーマは唇をひくつかせた。
「何だか後ろがうるさいですね」
 そう呟いて男が後ろを振り返る。目に入ったものに驚いた気配が感じられた。
 大魔神登場である。
「随分楽しそうな状況じゃねぇか? あぁん?」
 そして開口一番にそれ。
 さすがは景吾。いつだって予想を裏切らない。
「いや、ほら、何、ね?」
「何がほら、なんだ?」
 言葉に詰まるリョーマに、景吾は仮面を外して、綺麗な綺麗な笑みを浮かべてみせる。
「お前、この後自分の身に何が起こるか分かってんだろうな?」
 そりゃ、勿論、とリョーマは力なく頷く。何しろ景吾の誕生日だ。
 随分前から、当日はセーブしねぇからな、と言われている。
 ――何がってナニを、だ。
「それ分かっててこの状況って辺り、今年は今まで以上を望んでるってことだよなぁ?」
「いやいやいやいやいや! それはないって景吾!」
 プルプルプルと首を振ってリョーマは必死になって言う。
 と、そこでようやく、景吾とリョーマの二人を驚いたように見ていた、間に挟まれた状態の男が口を開いた。
「このパーティーの主役、跡部景吾さん、ですか?」
 結構間抜けな発言である。が、景吾は大真面目に返事を返した。
「まぁ、この場には、他に跡部景吾を名乗る人間はいねぇだろうな」
 そりゃあ、跡部景吾お誕生日パーティーで、自分が跡部景吾ですなんて大嘘つける人間はいるわけないだろう。というか、いたらその人間は頭のネジの一本や二本、外れているに違いない。
「で、二人はお知り合い、ということですか?」
 次いで、男が尋ねる。
 この人マジで言ってんだろうか、と思いながらリョーマはとりあえず頷いた。景吾も凄い生き物見る目で、男を見ている。
「あ、ああ」
「うん。知り合い、といえば知り合い」
 むしろ知りすぎているくらいに知っているのだが。
「そうなんですか…」
 うん、うん、うん、といった具合に三度ほど頷いて、男は笑顔を浮かべた。
「私は、東条雅紀といいます」
「ふぅん」
「あぁ、東条グループの」
「はい。一応長男です」
「そうなのか。にしては、その顔、見かけたことねぇな」
「ええ、しばらくヨーロッパの方に出て、こういった社交場に出るのを嫌がってましたので」
 気持ちは分かる、とリョーマはうんうん頷いた。
 主に景吾ママや景吾ママとか景吾ママに、社交場に強制的に出させられているリョーマにしてみれば、ヨーロッパに雲隠れして社交場から逃げることの出来たこの男は羨ましい存在だった。
 とはいえ、社交場に出たおかげで、とある親友にめぐり合えたのだが。
 ちなみに余談ではあるが、その親友である男は、実際はリョーマの旦那の座を狙っており、景吾がいない隙にリョーマとの親交を深めている知能犯だったりする。というわけで、今回のパーティーは当然のように景吾がいるので、その男は不参加。ついでに言えば、景吾ママもこの男の存在はこっそり知ってはいるのだが、景吾不在時のリョーマに集る虫退治にちょうど良かったりしたので、監視しつつも放置していたりする。勿論、リョーマに手を出そうと動き出した瞬間に、景吾ママの手により退治されるだろうことは想像に難くない。知能犯といえど、景吾ママには敵うはずがないのだ。何しろ景吾ママは、鬼畜で策略家なので。その血を継ぐ景吾も、当然のことながら鬼畜で策略家だが。

「それで、今回のパーティーは母が何としても出ろ、と言いますので仕方なく。
 ですが、貴方と出会えたことで、こういった社交場も悪くない、と思えます」
 リョーマはビックリした。というか、凄い人だな、と思った。
 ここまで来ても、リョーマが誰なのか気づいていないなんて凄い。凄すぎる。というかぶっちゃけ有り得ない。
「……あの、東条さん、天然とか言われない?」
 とりあえず聞いてみる。というか、こういう男は天然以外にないと思う。
「ええ、まぁ、時々…言われますね」
「……だろうな。つか、普通俺がこんなに拘る女が誰か分からないって辺り、有り得ねぇだろ」
「拘る……?」
 難しい顔になる東条雅紀に、リョーマはため息をついて仮面を外した。
「俺の名前は、跡部リョーマ。正真正銘、この隣の男の奥さん、ってヤツだよ」
「ワイフだワイフ」
 ヨーロッパ帰りという辺りを気にしてか、景吾が付け足す。
「え……」
 驚く東条雅紀。
 を尻目に、リョーマは景吾に目を向けた。
「いつも騒ぎ起こしてるからかな? 周りの人間が気にしてないフリ異様に上手いんだけど」
「ああ、まぁ気にするな。近くにいる人間の殆どが知り合いだらけだ。むしろ知り合いが周り上手く囲んで、俺たちを詳しく知らない連中をシャットアウトしてんだろうぜ。何よりあの一番近くで踊ってる二人の顔を見れば一目瞭然だろ」
 顎で示された辺りを見れば、赤いドレスが見えた。
「ホントだ」
 というか、あの見覚えのあるドレスは一人しかいない。
 景吾ママがこちらの様子に気づいているのならば、差し障りの無いように上手く配慮してくれているはずである。そこら辺の抜かりの無さが、景吾ママが景吾ママたる所以だ。
「ちょっと、待っていただけますか?
 あの、貴方方二人は、結婚してらっしゃると…?」
 東条雅紀が慌てた様子で聞いてくる。
「うん。そういうことになるね」
「離婚する予定もねぇし」
 淡々と頷けば、彼は深刻な様子で俯いた。
「運命の女性と出会えたと思えば、それが他人の妻とは……。
 神も酷なことをなさるものです……」
 一方的に運命を感じられることは、二人共良くあることだった。景吾もリョーマも、異性を惹きつけてやまないらしい。そんな二人が共にいるのは、ある意味ではこれ以上ないくらいに運命的ではある。
 それはともかく、東条雅紀がガックリと肩を落として呟く言葉に、リョーマも景吾も苦笑するしかなかった。
「東条さんの運命の女性は、多分どっかで待ってるよ」
「だな。そもそも東条グループの人間なら女なんて幾らでも寄ってくる。そのうちのどれかが運命の女なんだろうよ」
「いえ、運命の女性は唯一人。その人を手に入れ、妻とし、そして末永く暮らすことが東条の家の伝統ですから」

 ………だから、何だというのだろう。

 妙な沈黙が三人の間を包んだ。
 運命の女性が唯一人なのは、まぁ正直当たり前なんじゃないかとも思うし、その人と末永く、というのも当たり前だとは思う。
 ようは、景吾の言葉に対する受け応えとして、東条雅紀の言葉があまりにも不自然だ、ということが問題なのであって。
「跡部景吾さん」
「あ? なんだ?」
 唐突に東条雅紀が真剣な表情で、景吾へと向き直った。
 何とはなしに、嫌な予感に駆られる景吾。と、この人何言うんだろう、と興味津々のリョーマ。
「あの……」
 ごくり、と唾を飲み込む音が複数聞こえた。
「リョーマさんと別れてもらえませんか?」

 時間が止まったように思えた。
 その場の誰も動かない。景吾も、そしてリョーマも、動けなかった。あまりにも有り得ない発言を耳にしたせいで。

「あー………なんだ。俺、もしかして耳おかしくなったか?」
「俺も変になったかも」
「なんか、別れろ的発言を耳にした気がしたんだけどよ」
「俺も聞こえた」
「………」
「………」
 二人して互いを、まるで憎い敵かのように睨み合う。
「私は本気です、跡部景吾さん」
 そんな二人のやり取りにまるで気づいていないような東条雅紀の言葉。
 さすがの景吾もこれには軽くぶち切れた。
「テメェ、ちょっと考えて物申せ、あ?
 有り得ねぇだろ、いきなり別れろとか言い出すのはよ!」
「いきなりではありません! 私も良く考えて答えを出しました!」
「違ェ! そういう意味のいきなりじゃねぇよ!」
「他にどんな問題があるというのですか!」
「問題点なら他にゴロゴロしてんだろうが!」
「いえ、私の気持ちが一番重要な問題です」
 きっぱりはっきり東条雅紀が言い切った。
 それには、リョーマがぶち切れた。
「つか、そもそも俺のこと無視して何いきなり言い出してんの!
 俺の気持ちはどうなってんだよ!
 俺は景吾を愛してんの! だから景吾と別れるつもりなんてこれっぽっちもないからね!」
 きっぱり叫びきって、ハッと我に返る。何だか物凄いことを口走ってしまったような。

 ―――俺は景吾を愛してんの!
 ―――景吾と別れるつもりなんてこれっぽっちもないからね!

 自分の発言に思わず蒼白になるリョーマ。そろり、と景吾の顔を盗み見れば、今まで怒り狂っていたのだが何だったんだろうってなくらいにご機嫌なご様子。どうやらまさしく、リョーマの言葉が景吾の心に響いたようである。
「あー……、ま、もうどうでもいいな。
 とりあえず、一連の事件は、俺へのバースデイプレゼントのための一芝居と思うことにしてやるよ」
 上機嫌で言い放つ。そう思えば、確かに怒りも湧いてこないだろう。と、リョーマも思う。
「いえ、私は」
「あのな、聞いただろうが。
 リョーマは俺を愛してて、だから俺と別れるつもりはねぇつってんのをよ」
 ニヤニヤといやらしく笑いながら景吾が言う。東条雅紀が切なそうに顔を歪めた。
「ええ。聞きました。
 けれど、そう、リョーマさんを愛しく思う私の気持ちは本物で。つまり運命の女性はリョーマさんである、と私は思うのです」
 思いつめたように話す東条雅紀に対し、リョーマと景吾はこっそりと話し合う。
「何、今の論理」
「それからすると、俺の運命の女は、当たり前のようにリョーマだな。
 で、お前の運命の相手は俺、と。何しろ愛されてるわけだしな?」
「………うっさい」
 頬を赤く染めてリョーマが唸る。そのあまりの可愛さに、久々に景吾は自分がどれほどリョーマを愛しく思ってるか、ということを再認識させられることとなった。
「こういう男もたまには必要だな」
 呟いて頷く景吾に、リョーマはえ、と振り向いた。
「何言ってんの」
「まぁ、たまに、で十分だけどな。誕生日で寛大だからこそ許せる範囲だ。そう何度も何度も相手してらんねぇし。
 何より、アイツが聞いたら、跡部vs東条の図が出来上がることになる」
 景吾の言うアイツこと、赤いドレスのあの人は、相変わらずダンスを優雅に踊り続けている。
 くるくる、と回るドレスを見ながら、リョーマはポン、と手を打った。
 この場から逃れる、実に簡単な方法が一つあるではないか、と、気づいたのだ。
「景吾、景吾」
 手を差し出して、景吾を呼ぶ。
 この手を受け取れ、と暗に示してリョーマは笑顔を浮かべた。
「……あぁ、その手があったな」
 言って景吾はニヤ、と微笑む。東条雅紀はといえば、リョーマの笑顔にボーっとなっていて、二人が何をしようとしているか気づいていない。
 差し出された手に、自らの手を添えて、景吾はリョーマの瞳を見つめた。

「踊っていただけますか? 奥様?」

 微笑んで尋ねる。
 リョーマはその願いに、綺麗な笑みを浮かべた。

「喜んで、旦那様?」

 リョーマの手の甲に口付けを一つ落とすと、景吾はリョーマを引き連れて、皆の踊る広間へと足を進めていった。
 後に残る東条雅紀が、呆然とこちらを見つめていることを意識しながら。








 その日、結局東条雅紀はそれ以降現れることはなかった。
 ダンスの後、待ち構えているだろうかと身構えた二人にしてみれば、拍子抜けなことだったが。
 そんなワケで、景吾は自らの誕生日を、ある意味では有意義に過ごせたといえる。リョーマの愛の告白を聞けた上に、その日はリョーマを好きにしても構わないのだ。リョーマが懇願するのも聞かず、とりあえず景吾は自らの欲求を満たすことにしたのだった。


 しかし、後日。

「……リョーマ様……」

 執事が持ってきた代物に、リョーマは唖然とした。唖然とする他なかった。
 バラの花束に、ビロードの小箱である。ビロードの小箱の方には、想像通り指輪が入っている。
「……貴方への愛をこめて……?
 離婚が決まったら私と結婚してください……?」
 カードに書かれた言葉を読み上げながら、リョーマはプルプルと震えた。
「………なんだ、このバラ…?」
 不思議そうな表情を浮かべ二階から下りてきた景吾に、リョーマはただ黙ってカードを渡した。
「…………あ?」
「東条雅紀って……凄いねホント」
 読み終えた景吾は、ビロードの小箱の中身を見、すぐさまその箱を遠くへ投げた。
「人の妻にプレゼントするようなモンじゃねぇだろ!」
 コロン、と転がり出てきたのは、ルビー、ダイヤ、サファイヤ等が幾つも配置されたデザインリング。とりあえず高額だ。
 しかし、リョーマは笑って言い放った。
「……俺は、こんなのより他に欲しいものがあるって、景吾なら分かるよね?」
「………まぁ、な。当たり前だろ」
「だから俺は、景吾の奥さんやってるんだよ」
 そんなことを、満面の笑みで言う。
 景吾は一つため息をついてリョーマの身体を抱き上げた。
「ちょっ、何…?」
「俺がリョーマの考えを理解出来るように、リョーマも俺の考えを理解出来るはずだろ?」
「………分かるけど、分からないわけないけど!
 でも、嫌だからね、まだ昼間なのに!」
 まさしく、リョーマは景吾の考えを理解している。リョーマの言葉がそのことを物語っていた。
「男は急には止まらねぇんだよ」
「全然急じゃないじゃん! ちょっと!」
「おい、その指輪とバラ、東条雅紀宛に突返しておけ」
 執事が現れ、笑顔で小箱を拾い上げる。その後、わさわさと広間を埋め尽くすバラを見やり、困ったように景吾を見上げる。
 その頃には、景吾はリョーマを抱えたまま、再び二階へと上がってきていた。
「景吾様、バラの方はいかが致しましょう?」
「そうだな、同じだけ買って送れ」
「畏まりました。あの、リョーマ様」
「え、何?」
「頑張ってくださいませ」
 深々とお辞儀をして去っていく執事。リョーマは硬直した。と、そのまま叫ぶ。
「え、頑張るって何を!」
 必死に言い募るが、執事は既にその場から離れてしまっている。
「諦めろリョーマ。奴等は俺の味方だ」
 訳知り顔の景吾が、ゆっくりと頷いた。
「意味わかんない!」
 叫ぶリョーマを、景吾は寝室へと連れて行くのだった。







 朝目覚めてリョーマに誕生日を祝われ。
 そして夜は夜で、己の心行くまで誕生日祝いを貰い。

 確かにパーティーでは色々とハプニングはあったし、後日も後日で面倒な事態になりそうな気配を醸し出しているが。
 しかし結局のところ、跡部景吾は幸せであるのだった。
 間違いなく。
 言うまでも無く。

「俺は全然幸せじゃない!」

 リョーマに関しても、言うまでも無く。

「だから幸せじゃないってば!」








End