闇に真紅の鳥が羽ばたく。
 
 やがて麗しの紅の鳥は
 光り輝く一粒の宝石を手に入れた。


 誰もが欲してやまない一粒の宝石を── 



















【ZERO actU】

















「なんやっちゅうねん…イライラするわホンマ…」
「何が?」
「何ってこの人ごみが、や。俺はな、自分の前を誰かに歩かれるのが嫌いやねん」
「……わかるその気持ち。俺も嫌い」

 一度、船まで戻ろうと、人ごみを逆走して歩いていたのだが、しばらく歩いてから買わねばならない品物を買っていないことに気付いたユーシは、リョーマと共に来た道を戻り始めたところだった。

「難儀なこっちゃな。たかが姫さんの婚約式にこんなに人が集まりよるなんぞ俺には考えられへん」
「俺にも考えられない。人の婚約式なんて見て、何が楽しいんだろうね」
「ホンマ…民衆の心理っちゅうのはわからんもんやな…っと危ないやん、手繋いでやるから手ェ出し?」
「いいって別に」
「遠慮せんでええ。はぐれられても迷惑やしな?」

 そう言って、有無を言わさず手を引くユーシに、リョーマの俯いた頬が赤く染まる。

「何頬染めとるんや…女やあるまいし」
「うっさい!」
「おお…ニャーニャーうるさい子猫やなぁ…」

 軽々と人をあしらうユーシにリョーマはむっつりとした顔で、しかし手は繋いだままついていく。そんなリョーマに、ユーシは頬が緩むのを感じて、慌ててリョーマから目を逸らした。
 そうして目を逸らした先で見たものに、ユーシは脱力せざるを得なかった。
 ───と、いうのも。

「ねぇユーシ! アレってさっきのナンパ男じゃない?」
「そやろな…しかもどう見たって普通じゃない連中も一緒や」
「……ってコトは何? 仕返ししたがってるってコト?」
「………向こうは十数人。こっちは二人。どう見たって多勢に無勢やな…」
「見るからに、ね…」

 二人の間を奇妙な沈黙が支配する。海賊として、売られた喧嘩は買うのが筋だが、勝てない喧嘩は買わないのもまた…筋だ。

「……お、見つかった」
「こっちに来るケド…?」
「こーゆー場合は……逃げるが勝ちや」

 握った手を強く掴むと、ユーシは来た道を逆走し始めた。
 後ろでは、逃げ出したことに気付いたその…ナンパ男とその他大勢が慌てて追跡に走る。しかしながら、逃げる二人、緊張感が著しく欠如していたりして……。

「なんやムカつくわ。なんで二度も同じ道往復せなあかんのやろな…」
「確かにね。文句ならアイツに言うべきじゃない?」

 リョーマの言葉に、ユーシは走りながら後ろを向いた。二人の走るスピードが早いのか、あいつらのスピードが遅いのか知らないが、見る見る距離が開いていく。段々と腹が立ってきたらしいユーシはそのまま走りつつ叫んだ。

「こん…クソボケがぁぁぁ!
 貴様のせいで行ったり来たり大変なんじゃボケ! カスはカスらしゅうしとけやぁっ!」
「うわ…ホントに文句言ってる……」
「あー…スッキリしたっ。でももう嫌や。この道は通る気失せたっちゅうか呪われてるんちゃうかこの道。
 ともかくこのまま出発や。行くでリョーマ!」

 見る見る後ろの集団が見えなくなっていくのを見ながら、リョーマはユーシに手を引かれつつ、走り続けた。やがて町並みから抜け、海の香り漂う港が眼前に広がり始める。
 近代化した世の中から抜け出したように、そこだけは昔から変わっていない港。しかしながら、今は数多ある宇宙船の停泊で海が見えない程であった。

「なんか…凄い船の数…」
「俺はこの星の港にビックリさせられたんやけどな…」
「なんで?」
「なんでて…今時こないな造りの港見たことないで?」
「そうなの?」
「古臭いっちゅうか…なんちゅーか…今時珍しいタイプの港やな。嫌いやないけど」
「嫌いじゃないならいいんじゃないの?
 そんなコトよりユーシの船ってどれ?」
「ああ、アレやアレ。見えるやろ?真っ赤な機体が」

 ユーシの指差す先には、言われた通り、真っ赤な機体が海の上に浮かんでいた。

「うわ…派手…」
「うっさいわ、人の趣味にケチつけんといてーな…」
「だって、一際目立ってんじゃん。海賊船がアレでいいワケ?」
「アレは小型戦闘機や。本船は宇宙にある」
「へぇ……で、ちょっと質問。どうやってアソコまで行くの?」

 というのも、港は元来大きいものだがそれでも足りない程の船が港に停泊していた。陸近くに船を停泊してあるものの遥か後方に、ユーシの乗ってきたという小型戦闘機の紅い機体が見えている。簡単に言えば、なんてことはない、沖の方の海の上を漂っているのだ。

「港の役割果たしてないし…」
「そやな。船が多すぎるっちゅうのも考えモンや。ここまで船が停まること考えなかったんやろ。ま、しゃあない話やけど。
 あ、ちなみに俺は小さなボート漕いできたんや。ホラ、そこにあるやろ?」
「あー…ホントだ。コレで船まで行くの?」
「そーゆーことや。ホラ乗る乗る!」

 周りを見れば同じような小型ボートがぎっしり陸に上がっている。どうやら皆、考えることは同じのようだ。それにしても、同じようなボートがたくさんあって、どれが自分のか間違わないのだろうか。ユーシはまっすぐに自分のを見つけ出しているようなのだが、それがまた不思議である。ふと、周りのボートに文字が書かれているのを見つけた。
 名前だった。それは己の名前なのか船の名前なのかは判断付きかねるが、どうやら意外とレトロな手段を用いてボートを選別しているらしい。
 とりあえずの納得を経てリョーマがボートに乗り込むと、ユーシはゆっくりと沖へと漕ぎ出した。

「泳いで渡る奴もおったで?」
「え! ホントに?」
「ホンマや。俺がちょうどココ来た時に泳いでこうとしてたから、思わず拾ってもうた」
「拾ったの?」
「えらい感謝されたな」
「そりゃ…泳いで渡るのとボートで渡るのだったら…ボートのがいいに決まってるじゃん」
「確かにそりゃそうやけど…」
「って! うわぁ……………ユーシ…アレ」

 突然リョーマが引きつった声で沖、右方向を指差した。それまで沖に後ろを向けてオールを扱っていたユーシであったが一旦漕ぐのを止め、身体を捻ってそっちを見やる。そして見事なくらいに固まった。

「………アホちゃうか!?
 しつっこいにも程があるで……なんなんや一体…」
「───何がアイツをそうさせるワケ…」
「あかん!急ぐでリョーマ!」

 何をどう回り込んだのか、町で追いかけてきたナンパ男とその他大勢が右から猛スピードでこちらへと向かってきているのだ。人力の小型ボートと、モーターのついたボートでは勝負は見えている。焦るリョーマと必死になってオールを漕ぐユーシ。

「ちょっとユーシ、ヤバいよ追いつかれる!」
「もう少しやっ!」
「アレ…? ユーシ、何か言ってるアイツ」

 風に乗って聞こえてくる声にリョーマが耳をすます。ユーシは必死に漕ぎながらもリョーマに倣った。

「誰がボケだこのボケェェェェ!」

 聞いた瞬間に…耳をすましたことを後悔したリョーマとユーシであった…。

「本物のバカみたいだね…アレ」
「そうみたいやな。救いようのないバカや…」
「あ!もうちょっとだよユーシの船!」

 近づいてきた紅い機体にリョーマの声が弾んだ。それを聞きながらラストスパートとばかりにユーシが力を入れて漕ぐ。

「着いたっ!」
「よし、さっさと中に入るでリョーマ、こっちや!」
「了解」

 慌てて乗り込みながら、リョーマは彼らを見やった。もう少し船まで距離があったら追いつかれていたかもしれないが、ユーシの頑張りのおかげか、奴の顔が判別できない程には遠い。そしていまだ何かを言っている様子。今度は聞くつもりはないので、さくっと無視してリョーマは扉を閉めた。

「ユーシ?」

 薄暗い機体の中、リョーマは先に入ったユーシを探した。しかし、どうやらさっさと奥の方へ行ってしまったらしく傍には気配すらない。

「ユーシ?」

 二度目の呼びかけには誰も答えはしなかったが…その代わりに扉が開いた。

「来いってコト?」

 肩をすくめると、リョーマはその扉の奥へと入っていく。狭い鉄の通路をゆっくりと進む。やがて突き当たるとそこには小さな扉がついていた。

「腰かがめないと入れないじゃん…」

 などと呟いていると、その小さな扉がシュインと音をたてて開いた。ふん、と鼻で息をしつつも、リョーマは促されるままにその扉へと足を踏み入れた。
 入ってみると、そこはどうやら小さな客室のようだった。小型のベッドと小さなテーブルがある。

「小型戦闘機だって言ってなかったっけ?……なんで客室なんかあんの…?」
『それはやな…俺の趣味や』

 突然のスピーカーを通しての声にリョーマがびくりと身体を震わせた。どうやらこちらの声は向こうに筒抜けらしい。

「趣味?」
『そや。この小型戦闘機っちゅうても他の連中から見たら立派な宇宙船なコイツは、俺のバカンスの時のために作られとるんや』
「バカンスって…」
『だからベッドがついてて当たり前なんや。俺が辺境の惑星なんかに行った時に、町なんか無い時はそこのベッドで寝るんやから』

 チロリ…とリョーマはベッドを見た。趣味のために作られたベッドだけあって、さすがにちゃんとしているみたいだ。近寄って触ればフカフカのベッドだということがわかる。

『おっと…あんボケが人ん船ガンガン叩きよるから、今飛び立つで。そこでジッとしとき?』
「わかった…」

 ベッドに座ってリョーマは俯いた。やがて数秒も経たない内にその船は動き出した。
 どうやら水上を物凄いスピードで走っているようだが、機内は重力制御をしてあるのか、全く加速による重力は感じられない。快適な室内であった。
 そう、もうじき、飛び立つのである、この惑星から宇宙へと…。
 それを考えるリョーマの瞳は虚空を見つめながらも、力に満ち溢れた。

「ざまーみろクソ親父…」

 ごろりとベッドに横になったリョーマはニヤリと笑って呟いたのだった。
















 しばらくの後、シュインという扉の開く音がした。
 身体を起こしたリョーマが見たのは、ユーシと、その下に黒い大きな狼の姿。

「リョーマ。こんなトコに押し込めてもうて悪かったなぁ…」
「ホント。つまんなくてしょうがなかったよ」
「ホンマ悪かった。コイツが信用してない奴はブリッジに入れるわけいかんのや」
「コイツって…この狼?」

 黒い毛をなびかせながら、狼が悠然と近寄ってくる。リョーマは反射的にベッドの上で立ち上がった。
 
「別に怖がらなくてもええ。コイツは人の言葉分かるし、喋れるからな」
「喋れるって…この狼が!?」

 マジマジと見つめると。狼がフイとユーシの方へと戻っていった。

「どうや?」
「大丈夫そうだ。この子は信用していい」

 そして、ユーシの問いに狼は、本当に言葉で返したのだった。驚愕の顔で固まったリョーマにユーシが笑う。

「だから言うたやん。喋れるでって」
「信じられないのも無理はないだろうユーシ。お前なぞ、最初は腰を抜かしていただろうが」
「腰は抜かしてへんやろロウザ。俺はちゃんと二本足で立ってたで」
「小さな時のコトだからお前は忘れたのだろうよ。私はちゃんと覚えている。お前が叫んで腰を抜かしたのを。それに比べればこの子の反応などしっかりしたものだ」
「なんやとロウザ! 俺は腰なんて抜かしてへん!」

 妙な口争いをしだした一人と一匹を、リョーマは口を挟むことなくただただ見つめた。自分の中の常識を覆された気分だった。喋る狼など、聞いたことも見たこともない。けれど、現に目の前で喋っているのだ。全く驚かされる。

「ほらユーシ、その子がビックリしているではないか」
「あーすまん。紹介するわ。コイツの名前はロウザや。俺の船の乗組員の選別をしてくれとる」
「選別?」
「裏切る奴とそうでない奴を選別してくれるんや。ロウザにはなんかわからんけど、人の奥深くがわかるんやて」
「へぇ…で、俺は大丈夫ってコト?」
「ああ。君の心の中は澄んでいる。決して裏切ったりしないと分かるよ」

 ロウザの青い瞳がリョーマを見据えた。澄んだ澄んだその青い瞳に、リョーマは慌てて視線を逸らす。何もかも見透かされるようで、怖かったのだ。自分の全てを見透かされるようで…。
 そしてそれは、実の所、間違ってはいなかった。

「君は…どうしてそんな格好をしているんだ?」
「な…にが…?」

 リョーマの声が震える。
 ユーシが不思議そうにロウザに問うた。

「何がや? そんな格好ってこの格好のどこが変なんや?」
「ああそうか。君にはわからないのかユーシ。
 この子は、女の子なんだよ?」
「なんやって!?」

 リョーマが痛みをこらえるように俯いて拳を握り締める。そんなリョーマをユーシは睨むように見据えた。

「お前女やったんかリョーマ!」
「そうだユーシ。この子は女の子だ。こんな男の格好をしているが、私を騙せはしない」

 ロウザの青い瞳。リョーマはソレを見て、決心したように瞳を閉じた。

「そうだよ。俺はこんなカッコしてるけど女なのホントは」
「なんでそんなカッコしてるんや?」
「女だってバレないために」
「バレたら何が悪いんや? 俺にはそれがわからへん」
「ユーシ。この少女の持つ秘密はそれだけではない」

 そのロウザの言葉を聞き、リョーマが驚愕に瞳を開いた。

「アンタそんなコトもわかんの?」
「ああわかる。君の心の奥底が私には見えるのだから」

 静かに、落ち着いた様子で言うロウザに、リョーマは苦笑した。この狼には全てはお見通しなのだ。何もかも、自分の全てはこの狼の前では裸同然というコトになる。苦笑するしか、ない。

「…ってことはアンタの前ではウソなんてつけないってことか」
「そういうことになるかな…?」
「おい! はよ教えろや! 何や秘密って。何なんや?」

 焦れたようにユーシが割って入る。
 それに対し、リョーマは苦笑混じりにだが答えてやった。

「俺が姫だってコトだよ」

 観念したように、笑って言うリョーマはいっそ潔くロウザの目には映った。好ましい少女だ、とロウザは思う。

「ハ? 姫って…お姫様のことか?」
「そ。その姫。今日エツィで婚約式挙げる予定だった姫」
「………お前がその姫やっちゅうんか!?」
「そうだって言ってるじゃん」
「ちょぉ待て…ってコトは、婚約式はどうなるんや?」
「中止だと思うケド?」

 冷静に淡々と言うリョーマに、ユーシは逆に混乱を深めた。
 実に簡単そうに言ってはいるが、事は重大極まることである。
 なんせ、一国の姫君が、何も言わずに婚約式をすっぽかしたのだ。
 しかもその片棒を知らないうちに担がされたことになる。

「リョーマオマエ…いい度胸しとんなぁ…」

 思わずそんな言葉がユーシの口から零れた。そんなリョーマに対し、わけのわからない笑いすら込み上げてくる。しかし当の本人は至って大真面目な顔で頭をかいた。

「だって…見たこともない男と結婚なんて絶対ヤだったし。婚約式とか言っちゃってるけど事実上の結婚式だし。冗談じゃないと思わない?」
「そんなコト言われてもな…姫さんちゅうのはそういうもんやないんか?」
「フン! クソ親父は政略結婚とか望むような奴じゃない。絶対嫌がらせだね。
 あのクソ親父…いつかぶっ殺す……」
「でもって…ソレが地なワケかい…。姫さんのイメージ著しく崩れたわ…」

 美しい、おしとやかなお姫様像がガラガラと音を立てて崩れていく。ここにいるのは紛れも無く一国の姫なのだ。たとえ生意気でも、男言葉で勇ましい性格をしていても。

「しっかし…リョーマが綺麗でよかったわ…。これでブッサイクな姫サンだったりしようもんなら、俺は金輪際姫ってもんに理想抱けんトコやったわ…」
「アンタまでソレ言うワケ? うちのクソ親父も同じこと言うんだよね…。
 オマエの顔は綺麗だが、性格は男だなって。俺、自分の顔綺麗だなんて一度も思ったこと無いんだけど…?」
「オマエ…それはそれで凄い話やな…。自分の顔見て綺麗やって思わんのか!?
 その顔やからあのクソナンパ男だって引っかかったんやろうが!」

 そのせいですっぽかしの片棒担がされることになったというのに。
 美しい少女が、自分の美しさに全くといっていい程無自覚というのは、それはそれで問題有りだろう。

「物好きだなぁって思ってた」
「アカンがな……なんや物好きて…」
「ユーシはおもしろい拾い物をしたものだな…」

 のんびりとロウザが呟くのを聞いて、ユーシは身体から力が抜けるのを感じた。
 そういえばそうなのだ。拾ってしまったのだ。
 しかも…海賊の仲間にしてやる、と言ってしまったのだ。

「オマエ…帰る気ってぇのは…」
「無いに決まってんじゃん。帰ったら即手枷つけられて監禁だよ。で、速攻で婚約式の後結婚式」

 吐き捨てるリョーマのやさぐれっぷりに、ユーシは何も言えなくなった。

「ともかく、俺のこと知ってる町の人間はいるわけがないし。何しろ姫としての俺は今の俺と外見違うからね。わざわざカツラ被ってお披露目パーティとか出てるし。
 だから、アンタが俺を攫ったってことは殆ど確実にバレてないと思う。まぁ、俺を外に放り出そうとすればどこからバレるか知らないけど…?」

 リョーマの言葉に、ユーシとロウザは揃って大きなため息をついた。

「ユーシって指名手配受けてないでしょ? 俺、しょっちゅう海賊ブラックリスト見てるけど載ってなかったし。
 わざわざ指名手配受けたいと思う海賊もいないと思うんだけどね?」

 完全に脅しである。自分をこの艦から下ろせば、指名手配されるんだぞ、と。

「ユーシ、どうするのだ?」
「指名手配されるわけにはいかんからな…。しゃあない」
「ってことはOK?」
「ああ」

 その言葉を受け、嬉しそうにに、リョーマが笑った。
 それは壮絶な美しさだった。知らずユーシの頬が染まったくらいに。
 それこそが持って生まれた王族の魅せる力、なのかもしれない。力の無い王族は、すぐに消える運命にあるのが今の世の常である。クーデターは、それこそどこの惑星でも起こっていることだ。
 しかし、エツィの国王は長年にわたり、素晴らしい統率力でもって星雲を統治している。リグメダ星雲のどこの惑星からも、王に対する不平不満は聞こえないのだから凄い話である。その娘であるリョーマが、生まれながらに民を統べる者としての能力を持っているのは、あまりにも当然のことかもしれなかった。

「全く。おもしろいことになったものだ…」

 ロウザがぽつりとそう言い残して、部屋を出て行った。後に残されたユーシは、とりあえず、気恥ずかしさから、リョーマの顔を見ることなく背を向け、リョーマは脱力したようにベッドに横になった。

「大体、俺自分のこと女だって思ったこと一度もないんだよね…」
「また…けったいなコト言い出しよるな。女やと思ったことが無くて…どうやって生活してけるんや…?」
「普通に。大体、俺の親父だって俺のこと娘扱いしてないし。絶対息子って考えてるよ」
「んなワケないやろ…」
「絶対そう。だからこそ、俺はこんななんだし」

 そう言われれば、納得せざるをえないユーシ。
 寝そべるリョーマにちらりと目をやって。ため息もついて。
 けれど次の瞬間には、ニヤッと最初のような笑みを浮かべた。

「まぁええわ。もうリョーマが姫っちゅうのはどうでもええってことにする。
 せやからリョーマ、オマエはこれからうちの船の海賊見習いや。さすがに最初っから重要な役につけるワケにもいかんからな。そういうことやから、覚悟しとき。見習いゆうのは言ってしまえば雑用係りなんやからな」
「ありがと。別に雑用係りだろうがなんだろうが、結婚から逃れられるなら何でもやるし」
「いい心がけや。さて。ちょっと起きてブリッジまで行くか。紹介しときたい奴がおんねん。
……本船に入る前に、オマエが姫やってこと言っておかなあかん奴がな…」

 至極嫌そうに言うユーシに、さして気にするでもなく、リョーマは頷いてみせる。
 立ち上がったリョーマを、ユーシはブリッジへと案内するため歩き出した。

「どうでもいいけど…なんであんなに扉ちっちゃいの?」

 扉をくぐって、狭い鉄の通路を歩きつつ、どうしても気になるのかリョーマが口を開いた。

「あー…アレはな。特に意味はない」
「………」
「あんま気にすると禿げるでリョーマ」
「………」

 もう、リョーマは何も言わなかった。下手に質問でもして、妙な回答が返ってこられても困るし、何より沈黙が嫌だった。その寒い空気が。
 やがて通路は行き止まりになった。大きな扉がシューっと音を立てて開く。
 そして眼前に広がったのは、美しい宇宙だった。リョーマが感嘆の声をあげる。
 ブリッジの上部は外が見えるよう、透明なガラスのようなもので出来ており、足を踏み入れれば、自分が広い広い宇宙にその身を投げ出したように感じる作りになっている。もっとも、海賊船であるため、透明なガラスのようなもの、といっても強度は相当なものだろう。
 安心感と共に、まるで宇宙の真っ只中に身体を置いたような気分を味わえる。リョーマは興奮気味に呟いた。

「凄いよコレ。なんか、感動…」
「そやろ。コレが気に入っとるから、俺はしょっちゅうこの船に乗るんや」
「うん…凄い…これだったら確かにバカンスもおもしろそうだね」

 素直に感動を言葉にして、リョーマはブリッジの中で立ち尽くした。
 上をぐるりと見渡して、手を広げてみる。
 真っ暗闇の中に、キラキラと煌めく無数の星々。時折闇を走る光線は、船だろう。

「掴めそう…凄い綺麗……」

 しばらく上を見上げ感動に浸っていたが、目的を思い出したのか注意をユーシへと戻す。

「そういや、会わせたい人って誰?」
「ああ…そやったそやった。
 リスト…覗いてんのやろ? 早よ姿現さんかい!」

 前方にドンと体を構える計器、モニターに向かって、ユーシは言い放った。何をしているのか、とリョーマが訝しげに問い返そうと口を開いた時だった。

「これはこれは…私の中へようこそ美しい方……」
「誰っ! どこっ! 何っ!」

 突然どこからともなく聞こえた声に、リョーマが慌てたようにきょろきょろと辺りを見回した。
 近くにいるユーシは仏頂面を保ったまま、モニターを見据えている。

「こちらですよマドモワゼル?」

 突然モニターの中に金髪碧眼の美形な男が姿を現し、リョーマは声もなくそれを凝視してしまう。

「何やリスト、オマエリョーマが女やってわかってたんか?」
「ああ、それについては見ればわかります。こんなにも美しい少女を男だと勘違いしていた貴方に対し、私の方が驚いてしまいますよ」

 クスリと笑うリストに、ユーシが忌々しそうに舌打ちをして。リョーマを呼ぶ。

「本当は紹介したくもないんやけど、せなあかんから一応しとくわ。
 リョーマ、こいつはこの船の、いや、俺の海賊船のホストコンピューターのリストや。俺のこの船には出張してくれとる。まあせんでもええことなんやけどな」
「貴方は実に必要の無いことをベラベラと喋りますねいつもいつも。
 初めましてリョーマ姫。リストと申します。電子頭脳を持つ、最先端コンピューター、だと思います。どうぞお見知りおきを」
「なんやオマエ。リョーマが姫やってことも知ってたんか?」
「そのことでしたらロウザ氏が私に教えに来てくださいました」
「そやったら、ココ来る必要無かったやん……」

 それまで黙っていたリョーマだったが、瞬きを一つして話しかけた。

「リスト、だったっけ? よろしく。
 ところでアンタのその喋り方はどうしてそうなの?」

 リョーマにとって何よりも気になったのはその点だったらしい。リョーマが知っている電子頭脳は、王家が所有する戦艦のモノと、もう一つ、父親が個人的に所有している大型戦艦のモノの二つだけである。その二つとも、こんな個性ある喋り方はしなかったように思うのだ。
 ここに居る電子頭脳は、どこかの貴族のようでさえある。

「どうして…と申されましても、この世に造りだされた時からこうでしたので、私には何とも」
「リョーマ、あんまソレは深く考えない方がええでー…」
「………わかった。考えたって答え出ないなら、考えない方がいいしね」
「そやそや。物事には、どうにもならんコトっちゅうのが確かに存在するわけやしな」

 二人がそう言って、頷き合っていると、後ろの扉がシューと開いた。入ってきたのはロウザである。そのまま悠然と歩いてこちらへと近づいてくる。

「やあロウザ…どうしたのですか?」
「やあ、リスト。ユーシに一つ、言っておきたい事があったのを忘れていたのだよ。
 ユーシ、本船の人間には、リョーマが女で、なおかつ姫であることは秘密にしておいた方がいいように思うんだが」
「なんでや?」
「どこから何が洩れるかわからないからだユーシ。別に彼らを信じてないわけではないんだが、知っていることが時に最悪な事態を招くこともありうるだろう。それを防ぐためにも教えない方がいい」
「そやな、確かに後々何が起こるかわからんし。そうするわ」

 案外あっさりユーシが頷いたのを見て、ロウザは嬉しそうに目を細めた。しかし次の瞬間には、言いにくそうに目を閉じる。それに気付いたリストが、ロウザに促すように尋ねた、

「どうしたのですかロウザ。君にしてはひどく言いにくそうにしていますが」
「ああ、ひどく言い辛いことなんだ」
「なんや言い辛いことって。気になるやん」
「………リョーマが女であることを秘密にするということが、どういうことか本当にわかっているのかということだ」
「わかってるで? 教えなきゃいいんやから……って……ちょい待ち……」

 答えに辿り着いたのか、ユーシの声が震えだした。

「教えなきゃいいってコトはや…。リョーマはうちの船員共と部屋一緒じゃまずいやんか!」
「そういうことだ。今のところ、空いている部屋など一つも無い。それを考えると、何が導き出されるのか…ユーシならわかるはずだ」
「……俺の部屋っちゅうことかい…」
「そういうことになるな」
「マジか!?」

 頭に手をやって首を振るユーシに、リョーマが不思議そうに首を傾げ。

「別にいいじゃん。ってか…なんでユーシ悩んでんの? 俺にはそっちのがわかんないんだけど…」

 めちゃくちゃ無垢な瞳で見つめられ、ユーシは深い深いため息をつくこととなった。
 自分が女であると思っていない、とは言っていたが…こういうことか、と妙に納得すらしてしまうユーシ。
 どちらにせよ、他に解決策が無い以上、それは決定事項であることは揺ぎ無い事実であった。

「いや、まぁ色々と問題が俺の方にはあったんやけど……どうにもならんしな。
 そんなワケやから、リョーマは俺の部屋に一緒に寝ることになるが、ええなリョーマ」
「うん。全然平気」
「年頃の男女が一室で寝泊りなど、健全とは言えませんがやむをえません。
 この美しいリョーマが…ユーシの手に堕ちぬよう、私は全身全霊を持って見張らせていただきましょう!」

 リストの、妙に力のこもった言葉に、ロウザとユーシは苦笑するしか出来なかった。リョーマはと言えば、それらの言葉が何を示すのかわからず、キョトンとしていたが。














「──ちゅうわけで、これからここにおるリョーマは俺達の仲間になる。よろしく頼むわ」

 ユーシの紹介を受けて、ペコリとお辞儀をしたリョーマを、船員達は拍手で迎える。
 ゆっくりと周りを見渡したリョーマは、楽しそうに笑った。


 結局、船長室にリョーマが居候させてもらうことで話はまとまり。その後すぐ、本船がブリッジから肉眼で確認できるほど近くに現れたのだった。現れた本船の大きさに驚いたが、その美しさにこそリョーマは言葉を失った。
 これもまた真紅のボディを持った、それはそれは美しい宇宙船だったのだ。鮮やかな朱色が常闇に咲き乱れる。そんな印象すら受ける。
 趣味だ、と言っていたユーシだったが、大きく頷けると思う。だってリョーマはこんなにも綺麗な宇宙船を見たことは無かった。マゼンダの名を持つその宇宙船は、今まで見た中で、確実に一番美しい船であった。
 その船に小型戦闘機のこちらはスカーレットというらしいが、それごと収容され、中に入ったリョーマを出迎えたのは、船員達の唖然とした空気であった。
 船長であるユーシが誰かをしかも子供を連れてくることが余程珍しいのか、不躾にジロジロと見つめられ、リョーマは憮然とした顔つきになる。促されるままにユーシと共にブリッジへと足を運ぶが、その間中、リョーマはその嫌な視線に晒されていた。
 けれど不思議なことに、ブリッジへと入った途端、纏わりついていた視線達があっさりと消え去ったのだ。
 どうやら、ブリッジの中に入れるのは限られた者だけのようだった。そしてブリッジの中には、人をジロジロと見つめる、失礼な人間はいないようなのだ。
 ブリッジにいる数人の人間が黙ってこちらをただ、見つめていたのだった。


 そうして軽い紹介が終わった後、ユーシはさっさと船長室へと戻って行った。残されたリョーマの元へ、ブリッジ内の人間が集まってくる。

「リョーマって言ったっけ? ちょー可愛いね〜!」
「エージさん! ズルイっすよ一人だけ!」

 とりあえず、ブリッジ内の二人が先手を切って話しかける。その後ろには、なぜかノートを持った眼鏡の男が控えていて、リョーマはパチクリと瞬きした。

「うっわ…見た今の! 可愛いなぁ、もう!」
「つうかお前らブリッジにいる必要無い奴らだろ! なんでここにいるんだ!?」
「うるっさいなぁカミオは! 居たいから居るに決まってんじゃん!」
「そうっスよ!」
「なんだよその理屈は」
「……意外に可愛い…」
「シンジまで……おい」

 リョーマの存在を忘れ、四名が喋っている中、後方に控えていた眼鏡の男がのっそりと近づいてきた。

「初めましてリョーマ君…と言ったかな? あの船長がこんな真似をするなどデータ外で俺としては驚愕の限りだが。
 何にせよ、君にはこれから俺達の仲間として生活してもらうことになる。船長の命令は絶対の上、詮索無用が基本なので、君の素性や船長と何があったのかは詮索しない。しかし、例え船長室に寝泊りしようと、君はあくまでも見習いだ。だから副船長である俺の命令に従ってもらうことになる。わかるかな?」
「わかる。上の人間には絶対服従ってヤツでしょ?」
「そういうことだ」
「あー!
 イヌイずるい〜! いくら副船長だからって抜け駆けは無しだろ〜!」
「あー…エージ…抜け駆けというのはどういう意味だ? この子は男の子だが?」
「知ってんけど? 可愛いもんは可愛いんだからいーじゃん」

 フンとばかりにエージは言った。それを見て、思わず笑ってしまうリョーマ。
 本当は男ではなく女だとバレたら、一体どういう反応を示すのだろう、と少しだけ興味がわいてくる。しかし、余計な問題が発生するのは厄介なので、絶対に教える気は無いリョーマであったが。

「とりあえず、自己紹介しておこう。
 俺はカミオ。総舵手だ」
「シンジ……計器類担当……」
「俺はモモ。他に名前あるっちゃあるんだけど…これが一番言われなれてるからコレで通してる。
 戦闘機乗りだ。敵機を撃ち落すのが結構おもしろくてな〜!」

 率先して自己紹介を始めたカミオに続き、シンジ、モモが同じように簡単な自己紹介を述べる。それを見て慌てたのはエージだった。

「皆ずるっ! 勝手にさっさと自己紹介なんてしちゃって!
 俺の名前はエージ。モモと同じ戦闘機乗り」
「アンタも戦闘機乗りなんだ。へぇー…」
「そだよ♪ 俺ってば敵無しなんだよ〜ん」

 自慢げに言ってみせるエージに、リョーマはふぅんと興味なさ気に頷き、最後の一人、眼鏡のイヌイに目をやった。

「アンタは?」
「俺はイヌイ、だ。さっきも言ったが俺は副船長をやっていて、船長の参謀のような役割としてこの船にいる」

 イヌイが眼鏡に手をやった。参謀であるのならば、手元のデータブックと思わしきものの存在も、それで何とか納得できそうだ。

「でも、ブリッジ内にはそうなると四人しかいないことにならない?」
「ああ、それはだな」
「私がいるからですよリョーマ」

 突然会話に割って入ったのは、例によって例の如く、電子頭脳のリスト氏だった。

「アンタがいるから?」
「はい。私はとても優秀なのです。ですから、私が大抵の仕事を引き受けております」

 ブリッジの正面の大型ビジョンに映し出された金髪碧眼の美形は、きらり、とキザったらしい笑みを浮かべる。

「へぇ、アンタって便利な存在」
「………素晴らしいと言ってくださいリョーマ。私は私を愛しているのですから。
 便利だなんて……そんな言葉私はちっとも嬉しくありません」
「………ああ、御免」

 苦笑ながらも、慌ててリョーマが謝る。ソレを見たブリッジ内の五人が、こらえきれずに笑ったのは、すぐ後のコトだった。



 こうして。

 リョーマの海賊見習い生活は、幕を開いたのだった。












To be next